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やはり無理でしょう。

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年 2月14日(日)01時23分17秒
  >「…奮励努力セヨ」と大見得を切ったのに、恐れた弱気な転舵、退散です。

「陸上砲台とはやらない」が基本方針だったのだから、威力を確認した時点で引くのは妥当な選択だったと思います。
ならば始めからやらなければいいという考え方もあるでしょうが、一度は威力がどの程度なのか確認しておかなくては、その後、作戦が立てられないのでは。
また、信号文は部下の士気を鼓舞する為のものですから、「ちょっとためしに攻撃してみるぞ」ではどうにもならないでしょう。

>ところで、“富士”山中砲術長が巨弾で戦死、砲戦酣の時に、饅頭山砲台
から飛弾したものかどうやって確認したのか、どこから飛んできた砲弾
か確認しているような暇な人間がいたんでしょうかね、

確認しようと眺めている暇な人間はいなかったでしょうが、たまたま目に入った可能性はあるでしょう。

>はい、ここも全く矛盾。露側は弾薬庫から砲台に砲弾を運搬する時間
は充分にあったのに。
露日戦史では、全く海岸砲台は役に立たなかった、とありますからね。

で、結局どちらだとお考えなんですか?

>でしたら益々おかしいです。

とおっしゃるということは、露日戦史の方が正しいとお考えということでよろしいのでしょうか。その前提でなくてはお考えの作戦自体が成立しないので、以下はその前提で検討します。

> 無力化、少なくとも動けないようにすれば良いだけです。

それでもかなりな時間が要るでしょう。それに、陸上砲台が発砲を開始するまでの間にそれができたとしても(できるとは思いませんが)艦砲は生きているのですから、無力化までに相当な被害が出ますよ。それこそ「富士の被弾」のように。
さらには、沈没させなくては、復旧してしまいます。要塞が半月程度で落ちればともかくそれは無理なので(後述)。現に、駆逐隊の奇襲や、山越えのあてずっぽう艦砲射撃で損傷した艦も、攻防戦初期のうちは復旧しています。

> また、張り付いていて海岸砲台の射程外の鳩湾方面に露艦隊を誘い出し、そこ
で艦隊決戦をやれば、良いだけです。

連合艦隊は、まさしくこれをやろうとしていたのに出てこないので苦心していたのだと思いますが。
私は「陸上砲台に守られた旅順艦隊に対し、何か良い作戦がおありですか?」とお尋ねしたのですよ? 砲台の下にいて出てこないままの露艦隊をどうにかする方法があるのですか、と。

> 当時鳩湾向けに、海岸砲台はありません。露国も弱点と判り、順次砲台
を新設しています。

ですから上陸できないとは言っていません。
が、上陸するだけではだめで、要塞を落とさなくては目的すなわち旅順艦隊の全滅、ないし、艦隊が陸上砲台の保護を期待できない状態にすることは達成できません。

上陸するだけでもかなりな時間がかかりますし(敵陸軍からの襲撃の心配のない仁川への、わずか2200余名の上陸でも丸々一晩かかっています)、鳩湾から5分や10分で要塞前に到達できるものでもありません。徒歩移動ですよ?
というわけで、不意打ちは不可能です。上陸軍が鳩湾から要塞の下に到達するまでに、ロシア側は迎撃準備が充分できます。少なくとも、機関砲の準備ぐらいはできるでしょう。

要塞の下に展開しても、壕を掘らなくては機関砲で薙ぎ倒されて終わりですので、そのための時間も要れば、ベトンの要塞を破壊するための28サンチ榴弾砲の設置も要りますね。あれは10日ぐらいかかるのでしたっけ。

それから攻撃開始したとして、何日で要塞を開城させられるとお考えですか。
またこの前提ですと鉄道がまだ生きていますから、南下してきたロシア野戦軍と要塞に挟撃されるおそれもあるのではないかと思います。
とても短期間での開城は見込めないと思いますが。

なお、繰り返しますが、私の質問は「陸上砲台に守られた旅順艦隊に対し、何か良い作戦がおありですか?」なので、要塞攻略法についての議論は望むところではございませんし、仮定が多すぎてあまり意味があるとも思いませんので、要塞についてのお答えはごく簡単にお願いします。
 
 

大矛盾です(笑い)

 投稿者:ebisu  投稿日:2010年 2月13日(土)19時50分29秒
  はい、最近の投稿は全く矛盾しております(笑い)
「海岸砲台効果なし」の露日海戦史を見て、訳が判らなくなって当方も
混乱しています。矛盾だらけなので、誰かこの矛盾を解決して欲しい。

> 特に日露開戦劈頭、旅順口前を第一戦隊が東から西に横切り、海岸砲台
> の射程内に入り、砲撃を受けたのは極めて危険で無謀。
> この時、三笠もマストが損傷する等、相当被弾。また富士の砲術長らが
> 死亡。海岸砲の威力に驚き、左に転舵を命ずる。
→事実
海岸砲か艦砲かは別にして、相当被弾したので第2戦隊までは三笠の
航跡を進み、同じ位置(三笠と)で転舵。
第三戦隊は、一斉転舵で弾着外に去れ、という命令です。
****************************
一斉転舵ですから東郷、秋山も、被害の大きさに驚き慌てていますね。
まあ、緒戦に露側の砲撃で、一艦も失ってはいけない、ということで、
東郷、秋山が第三戦隊に「弾着外に去れ」と命じたんでしょうが。

私に言わせると「要塞の砲火に暴露するかも…」、「…奮励努力セヨ」と
大見得を切ったのに、恐れた弱気な転舵、退散です。
この転舵は、上村長官は不満だった思いますよ。

ところで、“富士”山中砲術長が巨弾で戦死、砲戦酣の時に、饅頭山砲台
から飛弾したものかどうやって確認したのか、どこから飛んできた砲弾
か確認しているような暇な人間がいたんでしょうかね、

> 前夜の駆逐艦による奇襲攻撃で、2/9はロシア側も充分警戒していますよ。
> 特に、海岸砲台は無傷、戦闘用意を整え待ち構えていたハズ。
→はい、ここも全く矛盾。露側は弾薬庫から砲台に砲弾を運搬する時間
は充分にあったのに。
露日戦史では、全く海岸砲台は役に立たなかった、とありますからね。

> また戦時日誌が清書版だとして、清書の段階で既に改竄があったとお考えなのですか?
 > それでは日誌の意味がないでしょう。
→いえいえ日誌原本は海軍省の鉄庫に厳重保管していた、と思います。清書版は外向け、
公開向けですよ。昭和20年8月の終戦時、これらの原本は焼却されたんでは?

> 戦時日誌は規定に「部下将校若クハ相当官ニ命シテ戦時日誌ヲ作ラシムベシ」
> 書いたのは副官か参謀、でなければ主計士官ではないですかね?
→でしたら益々おかしいです。艦長、副長の捺印がないと…。和紙?に書か
れ、捺印があるものが原本では? 小学校時代の当直日誌を思い出して…
先生の署名、捺印があるでしょう。

> 当時の砲弾で艦隊全部を沈没させるには相当な時間の砲撃が必要だったはずです。
→いえいえ、沈没させる必要は全くありません。無力化、少なくとも動けな
いようにすれば良いだけです。撃滅表現が誤解を与え、スイマセン。

> どの程度の規模の陸戦隊を組織し得たのか知らないので
→塩大○の上陸時に千人規模の陸戦隊を結成しています。
陸兵の前に、上陸し拠点を確保しています。

> 旅順艦隊が全滅しない限り日本の艦隊は旅順口の前に張り付いていないわけ
> にはいかないので
→全滅(沈没)させる必要なし。動けないように無力化すれば良い。
また、張り付いていて海岸砲台の射程外の鳩湾方面に露艦隊を誘い出し、そこ
で艦隊決戦をやれば、良いだけです。

> 鳩湾側は、港から見れば背後ですが、要塞としては正面ですよ。
→当時鳩湾向けに、海岸砲台はありません。露国も弱点と判り、順次砲台
を新設しています。
 

では反論。

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年 2月11日(木)22時28分46秒
編集済
  >①、②で敵艦を撃滅した後、鳩湾に海軍陸戦隊を上陸させ、その後早期に
陸上部隊を揚陸させたら、旅順要塞は背後から攻撃を受け、短期間に落城
したハズです。

おっしゃる通り陸上砲台や旅順艦隊がそのとき無防備だったとしても、当時の砲弾で艦隊全部を沈没させるには相当な時間の砲撃が必要だったはずです。当時の徹甲弾はあまり威力がありませんし、前述の通り不良品が多かったですしね。

いかに陸上砲台に準備がなかったといっても、旅順のどこにも砲弾の備蓄がなかったわけでなし、全滅するまで延々と砲撃を続けていたら、その間に弾薬庫から砲台まで運び得たと思います。まして、二次攻撃の頃には万全でしょう。
というわけで、①②での撃滅は不可能です。うまくいけば半減はぐらいまではできたかも知れませんが、傷の浅い艦は修理が可能でしょう。

その後の陸戦隊については、正直に申し上げますと、当時の海軍がどの程度の規模の陸戦隊を組織し得たのか知らないので何とも言えません。
ですが、旅順艦隊が全滅しない限り日本の艦隊は旅順口の前に張り付いていないわけにはいかないので、それほど大規模にはできなかったのではないでしょうか。
陸軍を上陸させるならその点は解消できますし、そうすれば旅順攻防戦の期間が短縮できたというのは同意するにやぶさかではありませんが、それでもそう簡単には陥落しないとおもいます。
鳩湾側は、港から見れば背後ですが、要塞としては正面ですよ。

>ところで、戦時日誌というのは、艦長自らが自筆で書くものなんでしょうか?

戦時日誌は規定に「部下将校若クハ相当官ニ命シテ戦時日誌ヲ作ラシムベシ」とありますから、書いたのは副官か参謀、でなければ主計士官ではないですかね?
 
    (MV@管理人) ところで。
年末や元旦のebisuさんご自身の投稿、

>特に日露開戦劈頭、旅順口前を第一戦隊が東から西に横切り、海岸砲台
の射程内に入り、砲撃を受けたのは極めて危険で無謀。
この時、三笠もマストが損傷する等、相当被弾。また富士の砲術長らが
死亡。海岸砲の威力に驚き、左に転舵を命ずる。

>前夜の駆逐艦による奇襲攻撃で、2/9はロシア側も充分警戒していますよ。
特に、海岸砲台は無傷、戦闘用意を整え待ち構えていたハズ。

と矛盾していらっしゃることにはお気づきですか?
 

良い作戦2

 投稿者:ebisu  投稿日:2010年 2月11日(木)19時09分33秒
  MVさま

> 日本の戦史が信用できないというなら、『一九〇四,五年露日海戦史』も
> 同じぐらいか、あるいはそれ以上に信用できません。

スイマセン、簡単に単純には、信用はできないと言っているだけです(笑い)。
また、…なら露日戦史も同じくらいか、それ以上に信用できない等と、何
故に論理が飛躍するのかよく判りません。

> 3月10日の駆逐隊の戦闘では、戦闘後に負傷者を三笠へ移送しに行っ
> た朝潮が戦闘中に沈没したことになっていますから。

露日戦史に朝潮沈没と書いているから、信用できないということですか?
午前3時という深夜の一小戦闘の話です。露側も夜間、遠くで視認するので、
誤りはありますよ。そんな事をいえば、日本側も多数誤認ありです。
黄海海戦後、旅順へ引き返す敵戦艦への水雷攻撃は、皆水柱が挙がり命中、
命中したの大捷報告ですよ。(笑い)
さすがに、蛮勇水野艇長も後で考え込んでいますが…。

問題は、意図的に改竄報告したかどうかです。
此の程度の間違いで、露日海戦史そのものが、信用ならん、というのは??
です。

> 第三戦隊参謀の山路一善も、まさに2月9日について論じている場面で、「そ
> の本は余り信用する事はできない」と言っています(『名将回顧日露大戦秘史海
> 戦篇』P169)。

信用不可の論拠、理由が判りませんので、何とも言いようがありません。機
会があったら読んでみたいです。勝ったんだから黙っていればいいのに、器の
大きさが判りますね。(笑い)

>『日本海海戦一〇〇年目の真実』での菊田愼典氏などもそうですが、日本
> のものと食い違う記述をロシア側に見つけると、なぜそちらばかり信用
> して、日本側を「隠蔽、粉飾」と思うのでしょう。

菊田氏の著書を読んでいないので、何とも言えません。ただ、同氏が「隠蔽、
粉飾」と著書で述べているのですか?
私自身は戦争ですから自分達に都合よく「隠蔽、粉飾」があって当然だと思
いますよ。しかし日露戦争は、もう歴史の範疇ですから事実はどうだったか
を知りたいだけです。隠蔽、粉飾と目くじらをたてる方がおかしいです。

> 普通に考えたら、より粉飾したいのは負けた方に決まっていると思いますが。

お聞きしますが、2/9の旅順口攻撃はどちらが勝ったんですか?
勝ったのは日本海軍、負けたのが露国側とすれば、露側に粉飾の可能性あり
ですよね。しかし、露日戦史は、正直に要塞砲台は効果なかった、と謙虚に記
述しておりますし、日本側が要塞砲台を過大に評価している事に、驚いていま
す。負けた側がですよ。
即ち、かような単純な見方では、間違いを起こしかねません。
仁川沖でのコ号への反撃のための水雷攻撃は、勝った日本側が公刊戦史で、意
図的に事実を捻じ曲げています(以前に、MVさんから極秘版との相違情報あり)

> アジ歴をご利用なのですから、極秘戦史だけでなく、戦史に編纂される
> 前の手書きの原史料も閲覧してみてはいかがでしょう。
> この件に関しては、ほんの20分ばかり適当に探してみただけでも、「富士」
> の戦時日誌に、陸上砲台による被弾の記述を見つけましたよ。

毛筆手書きの富士の戦時日誌をアジ歴で見ました。この日誌は戦史作成(印刷)に
あたり、戦後清書したもので、原本は別にあったと考えています。つまり、原本
が別にあり、その清書版ではないかと思います。
<清書版と解する理由>
語句、文書の訂正、追記等の形跡一切なし。(戦時中であり、いくら何でもおかしい)
ところで、戦時日誌というのは、艦長自らが自筆で書くものなんでしょうか?

> この時偶然、前から探していた水野の部下の名前も見つけました。万歳!

はい、私も見つけました。戦影で「ちぇすとー」と言っているので、てっきり
鹿児島県人かと思いましたが、山口県人(海兵28期 中佐で予備役編入)で
したね。「ちぇすとー」発言は剣道の修練からきているんでしょう。

最後に“よい作戦”に対しての感想、見解をお聞かせ願えれば、甚幸です。
 
    (MV@管理人) 前回、
>艦砲に恐れて逃げ帰ったとは書けませんから、陸上砲台の所為にした、ということでしょうか。
と、露日戦史の「陸上砲台の砲撃は全く効果なかった」を全面信用していらっしゃるので、そうとは言い切れないと反論しているだけですが。
山路一善は、陸上砲台に威力があったかなかったかを論じているときに、当日は仁川にいてこの旅順口攻撃に参加していない森山慶三郎がロシアの戦史を鵜呑みにして「なかった」を主張するのに対し、「その本は余り信用する事はできない」と言っているのですから、器の大きい小さいの問題ではないと思います。
また戦時日誌が清書版だとして、清書の段階で既に改竄があったとお考えなのですか? それでは日誌の意味がないでしょう。

おっしゃるように、陸上砲台に効果がなかったならば、日本艦隊が逃げ帰った(?)のは、艦砲のためということになります。
露日海戦史の編者は露国「海軍」軍令部ですから、意図して事実と異なる記述をする動機はあります。謙虚と見るほうが単純な見方と思います。

私は露日海戦史の粉飾ないし間違いに目くじらを立てているわけでなく、一つの資料だけ全面信用して別資料を否定する論じ方に異議を唱えているだけです。
菊田氏のそれは典型例だったのでついあげてしまいましたが、あの愚著を引き合いに出したのは、ebisuさんに対して失礼でした。
この点に関してはお詫びいたします。
 

よい作戦

 投稿者:ebisu  投稿日:2010年 2月 9日(火)22時06分53秒
  失礼でも、何でもございません(笑い)。こんな議論をできるなんて嬉しい限りです。
良い作戦(情報がかなり入ったという前提で)

ズバリ、①2月9日、天明と同時の三笠ら主力艦隊の突入攻撃
さらに②上村長官が意見具申した「翌日の二次攻撃」でしょう。
以上は私見ではなく「日露海戦史の研究」(外山三郎)に述べられています。

「勝敗の決、此の一戦に在り各員努力せよ」と覚悟を決めながら、陸上砲台
の砲撃を恐れ、逃げるとは。
ロシア側の露日海戦史では「陸上砲台の砲撃は全く効果なかった」とあります。
明治三十七八年海戦史(公刊版、極秘版とも)では、陸上砲台からの被害が大
であった、と記載がありますが嘘ですね。このため極秘版と雖も、簡単に信用
できません。艦砲に恐れて逃げ帰ったとは書けませんから、陸上砲台の所為に
した、ということでしょうか。

もっと諜報活動していれば、露国側(特に旅順艦隊)には戦争の準備ができ
ていなかったのが判ったはずです。

①、②で敵艦を撃滅した後、鳩湾に海軍陸戦隊を上陸させ、その後早期に
陸上部隊を揚陸させたら、旅順要塞は背後から攻撃を受け、短期間に落城
したハズです。

最終的に、日本海海戦で大勝したので、緒戦の失敗、反省の必要を誰
も言い出せなかった、ということでしょう。
そこで、東郷の神格化、秋山の「智謀沸くが如し」の名参謀神話が醸成さ
れていきます。東郷はともかく、秋山は心苦しかったのでは、と推察して
います。こんな、ところでどうでしょうか、更なる意見を頂けますと、
感謝、感謝です。

あらら、奇しくも今日が旅順口攻撃の日とは、何か運命を感じます(笑い)
 
    (MV@管理人) 日本の戦史が信用できないというなら、『一九〇四,五年露日海戦史』も同じぐらいか、あるいはそれ以上に信用できません。
3月10日の駆逐隊の戦闘では、戦闘後に負傷者を三笠へ移送しに行った朝潮が(島村と真之が対立したのはこの時ですね)、戦闘中に沈没したことになっていますから。
第三戦隊参謀の山路一善も、まさに2月9日について論じている場面で、「その本は余り信用する事はできない」と言っています(『名将回顧日露大戦秘史海戦篇』P169)。

『日本海海戦一〇〇年目の真実』での菊田愼典氏などもそうですが、日本のものと食い違う記述をロシア側に見つけると、なぜそちらばかり信用して、日本側を「隠蔽、粉飾」と思うのでしょう。
普通に考えたら、より粉飾したいのは負けた方に決まっていると思いますが。

アジ歴をご利用なのですから、極秘戦史だけでなく、戦史に編纂される前の手書きの原史料も閲覧してみてはいかがでしょう。
この件に関しては、ほんの20分ばかり適当に探してみただけでも、「富士」の戦時日誌に、陸上砲台による被弾の記述を見つけましたよ。

(ご報告。この時偶然、前から探していた水野の部下の名前も見つけました。万歳!)
 

砲弾不良について

 投稿者:ebisu  投稿日:2010年 1月30日(土)11時12分42秒
  MVさん、わざわざ有難うございます。

さて、砲弾不良ですが、MVさん指摘のような不良があったのかもしれません。
しかし、比較論の話しになりますが、露海軍側の不良はなかったのか?
当時の砲弾製造技術や取扱、保管技術では、日露両国とも不良はある程度考慮済みだったのでは?例えば、現代社会の交通事故における死傷件数のようなものでしょうか。
将来の改善のために、不良データ収集、記録…単に左記だけの意味のような気がします。

それが証拠に黄海海戦後、島村参謀長の気合入れ文に、水雷取扱整備不良による不発の記載はありますが、砲弾不良についてはありません。

日清戦争における威海衛の水雷艇夜襲と砲撃について
はじめて私も知りましたが、豊島沖海戦後、連合艦隊は8月に威海衛を攻撃。結果的には敵艦の破壊は失敗です。
海岸砲台の威力に驚き、退散です。この時、島村も秋山(筑紫)も参戦。この教訓を生かさず、「旅順の海岸砲台に暴露するかも知れないが…」で、2月9日三笠らの旅順口外の敵艦砲撃です。でまた、海岸砲台の威力を恐れて退散です。無能、無策の作戦ですが、結果的に勝利したので誰も総括、反省せず、東郷の神格化、「智謀湧くが如し」の秋山神話に乗っかっていく。

でも、情報通信戦略などの素晴らしい面もあります。
 
    (MV@管理人) >それが証拠に黄海海戦後、島村参謀長の気合入れ文に、水雷取扱整備不良による不発の記載はありますが、砲弾不良についてはありません。

取扱整備の不良なら、艦隊内部の問題です。砲弾の不備は製造段階のものです。部下に気合いを入れてもどうにもなりません。
また、ebisuさんのあげておいでの「連合艦隊各艦長ニ通知セル海戦ノ結果ニ関スル書面」には、“嵌合不具合”とは別の理由ですが、不良砲弾はあらかじめ除いておけという指示がありますが。

目上の方に大変失礼かとも思うのですが、お伺いします。
「滅茶苦茶、無能、無策」を繰り返していらっしゃいますが、では、連合艦隊はどんな作戦をとればよかったとお考えでしょうか。
事前の諜報活動をきちんとしていれば得られたはずとebisuさんがおっしゃる情報が全部手に入っていたとして、陸上砲台に守られた旅順艦隊に対し、何か良い作戦がおありですか?

ご投稿の後ずっと考えておりましたが、私は後知恵の知識を総動員しても思いつきませんでしたので、良い作戦があるのならぜひご教示いただきたいのですが。
 

RE:砲弾が不良について

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年 1月24日(日)08時48分12秒
編集済
  返信が遅くなり、まことに申しわけありません。
下記の本は『創出の航跡』で、「戦闘詳報から拾ってみる」とあったので探したのですが本文に見当たらなくて、どこにあるのか探していました。

各艦の黄海海戦の戦闘詳報付録の表のうち、各艦の兵器消費表のうち、記事欄(備考欄)のあるものがいくつかあります。そのうちの二表ですが。

富士 : 安式十五拇速射砲常装薬「同(引用注:八月十日ニ於ル戦闘) 但内三箇不発危険ト認メ海中ニ投ス」 伊集院信管一号「同 但内六箇ハ抜弾後危険ト認メ海中ニ投ス」
八雲 : 一号伊集院信管「六伊砲ニ四回 四、八砲ニ各二回ノ不発アリ、火管の不良ニヨル、マタ四砲ニ三箇、六砲ニ六箇、八砲ニ三箇、十砲ニ一箇ノ不嵌薬莢アリタリ」

記事欄がない艦ではなかったのか、正確な数字が取れなくて欄を設けなかったのかはわかりません。
戦闘後でなく、戦闘中に危険、嵌らないと遺棄されたものがあったのは間違いありません。
 

砲弾が不良について

 投稿者:ebisu  投稿日:2010年 1月 4日(月)20時55分4秒
  > 黄海海戦なども、たとえば砲弾が不良品で砲身に装填できないも
> のがいくつもあった(!)なんていう不備がなければ、もう少し
> ましだったかと。

「黄海海戦の戦闘詳報」(三笠艦長伊地知大佐記)のことでしょうか。
戦闘詳報の「戦闘中の実験により将来改良を要すべき点」に砲弾について下記の通りあります。
「本海戦後、第三地点(牙山湾か?)ニ於ヒテ山城丸及ヒ揚武ヨリ補充セシ六伊砲薬莢ニハ、又々各砲何レニモ自在ニ嵌合セザルモノ甚ダ多数ナルヲ発見シ…」

以上、嵌合不具合は黄海海戦後生じたことであり、海戦時(戦闘中)は支障はなかったと推測します。さらに、“嵌合不具合”は朝日等他戦艦の艦長による「戦闘詳報」にも島村参謀長の「連合艦隊各艦長ニ通知セル海戦ノ結果ニ関スル書面」にも記載はありません。

なお、「…将来改良を要すべき点」は、太平洋戦争における硬直化した海軍と大いに相違し柔軟性があり特筆すべきものです。

> それは酷評に過ぎるのでは。旅順艦隊があそこまで退嬰的でなければ、
> もう少し戦果を上げられたかと。その退嬰を予想できなかったといわ
> れればそれまでですが。

定遠が威海衛に退嬰した時、苦労したのに…日露で作戦の立案に関わった者は、これを考慮していませんね。一時的に退嬰しても、いずれ出てくるだろう、との甘い考えです。
なお、戦果を挙げるかどうかは、実行者の艦長以下の話です。作戦家は、それ以前の有利な環境を整えてやるのが仕事です。

文芸春秋「坂の上の雲と司馬遼太郎」(12月臨時増刊号)の大座談会の識者の発言
「戸高一成氏…旅順戦はとても事前に考えられていた作戦であるという整然とした様子がないんですよね。…極秘戦史に残っている戦策を見ると、対バルチック艦隊の戦策は非常に整然としたものがありますが、それ以前はあまりないんです。
半藤一利氏…バタバタ作戦を変えてますからね。
戸高一成氏…日露戦争の緒戦を見ると、海軍も陸軍もやっぱり事前の調査が悪かったな、と思うんです」

大方の識者は、戸高氏のような見方ではないでしょうか。(私も同感です)
しかし、黄海海戦後、一隻も浦塩に逃さないように、手配した翌11日の作戦は、賞賛に値する。
 
    (MV@管理人) 砲弾については、数年前に読んだ本で記憶していたものです。

再確認してお返事しようと思っているのですが、新年早々残業続きで、寝に帰る時間しかありません。
しばらくお待ちくださるよう、お願いいたします。
 

謹賀新年

 投稿者:よ~いち  投稿日:2010年 1月 3日(日)13時51分19秒
  明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

>昨年は多事多難でしたので、今年は穏やかに過ごせたらいいなぁと思っています。

同感です(笑)。
そう思いながらも、元日から2日間、子供にうつされたカゼで寝込みましたが・・・。
あと、今週末には昨年から引きずっているトラブル処理をしなければならないので、
やっぱりこちらは今年も多事多難な予感がしています。

http://sakanouenokumo.hp.infoseek.co.jp/

 
    (MV@管理人) 明けましておめでとうございます。こちらこそよろしくお願いします。

おかげんいかがですか?
実は私も年末年始片頭痛で寝込んでしまいました。
とうとう大掃除もできなければ、実家のおせち作りの手伝いにも行けず……。
実家への年始の挨拶だけは、ベッドから体を引っぺがして行ってきましたが。

例の件、なんとか早く決着がつくといいですね。
 

明けましておめでとうございます

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年 1月 2日(土)13時04分20秒
  管理人さぼりまくりのサイトへおいでくださる皆様、ありがとうございます。(自虐的だなァ)

昨年は多事多難でしたので、今年は穏やかに過ごせたらいいなぁと思っています。
トラブルが続かなければ更新ももうちょっとはできるかと。

気長な方はどうぞ思い出したように見てやっていただけるとうれしいです。
 

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