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広瀬中佐ブロンズ像

 投稿者:よ~いち  投稿日:2010年10月25日(月)20時41分37秒
  故郷の竹田で除幕式があったようです。
写真が小さいのでよくわからないのですが、
個人的にはもうちょっとヒゲの長い、
イカツイ広瀬がいいような気もします。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101022-00000626-san-soci

 
    (MV@管理人) >もうちょっとヒゲの長い、
>イカツイ広瀬がいいような気もします。

そうですね~。私も広瀬のイメージは「いかつい顔の見るからに軍人、なのに、スイーツ好きで子供好きのアンビバレンツ(?)がおもしろい」なので、もっと怖い顔の方がヨイと思います。
 
 

噫、愚陀仏庵……!

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年 7月12日(月)22時52分58秒
  松山の愚陀仏庵が、全壊してしまいました……

http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20100712/news20100712166.html

もともと再建されたものだったとはいえ、残念です。
 

『長江航泊心得』

 投稿者:よ~いち  投稿日:2010年 6月13日(日)22時14分19秒
  ついに公開ですね。待ってました!!!
国会図書館のデジタルライブラリーと違ってカラーなので、
古書っぽい紙の質感も伝わってきてなかなか良い感じですね。

あと、もうご存知かもしれませんが、真之が水野に送った手紙が、
坂の上の雲ミュージアムに寄贈されたようですね。
今年は色んな資料が出てきますね。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100608-OYT1T00252.htm?from=navlp

 
    (MV@管理人) お待たせしました。
昨年から何度もアップしようとしては失敗していて、もうPDFでやるのはあきらめようかな~と思っていたところで↓のことがあり、もう一回だけ、と試したらうまくいきました。

真之の手紙、はい、存じております。
手紙の発送年が分からないということで、それなら『戦影』のためではなく、『明治三十七八年海戦史』の編纂のための問い合わせではないかとミュージアムへ問い合わせたところ、その可能性もあるけれど、今のところは『戦影』のためのものという立場をとっているそうです。

子規記念博物館にある真之の書いた『戦影』の序文(なぜか刊行された本には載ってない)と一緒に公開してくれると嬉しいのですが。
 

改修終了

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年 5月30日(日)23時29分45秒
編集済
  問題のページの改修が終わりました。

というか、改修ではなく新しいページとして全面的に作り直し。(T_T)
写真のファイル名を半角英数にして貼り付けなおしただけじゃ直らなかったんで。
文章だけはコピペしたけど、おんなじページをまた作るってのは、ものすごく虚しいですね。

もし万一、やっぱり見えない、という方がいらしたら、恐れ入りますがご一報ください。
 

ごきげん様、よ~いち様、ありがとうございます。

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年 5月27日(木)21時54分57秒
  ごきげん様、はじめまして。ようこそいらっしゃいました。

よ~いち様、こんばんは。
式典においでになれなかったのは、残念でした。

え~と、今回はあまり写真を撮ってないんですよ~。
「特別展 秋山真之と正岡子規」が「撮影はご遠慮ください」で、今回はほとんどそればっかり見てた上に、式典にぎりぎりで行ったら後ろの方で立ち見。
前の人の頭と頭の隙間からのぞいたような状態で(T_T)

やはりパソコンでは見えませんか。
実は、下記のお願いの後、ケータイで見てみたら見えるんですよ。
ど~いうことでしょうねぇ。

とりあえずファイル名を半角英数にしてやり直してみようと思います。
ありがとうございました。
 

たぶん

 投稿者:よ~いち  投稿日:2010年 5月27日(木)20時44分52秒
  写真のファイル名を半角英数に変えてみた方がよいと思います。
ソースを見ると、表示できない写真は日本語名になっているようですから。
本日の式典の写真も期待しています!


ちなみに、私は子守しながら引っ越し準備でした(泣)
三笠プラモを壊さないように梱包するのはかなり難しいし、
古書が多すぎてこれまた梱包に時間がかかるしで、疲れました。

http://sakanouenokumo.hp.infoseek.co.jp/

 

やっぱり見えません

 投稿者:ごきげん  投稿日:2010年 5月27日(木)10時48分20秒
  こんにちは。
ときどき訪問して、勉強させてもらっています。

大連のページは1枚も見えません。旅順は最後の4枚だけ見えます。
ちなみにOSはVista、ブラウザはIE8です。
 

お願い

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年 5月27日(木)08時44分1秒
  「日露戦争編」に「大連・旅順・奉天」を追加。式典前の駆け込みアップしたのはいいのだけれど、なぜか自分のパソコンで見ると、写真が最後のいくつかしか表示されません。

なんで?全部同じようにやったのに。

ご覧になった方、恐縮ですが、もしよろしければ写真が見えてる、見えてないをお教えくださるとありがたいです。
 

八木彩霞ってご存知ですか?

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年 3月28日(日)01時19分29秒
編集済
  松山出身の、大正~昭和前半に活動した洋画家。
萬翠荘の壁画2点はこの人の筆なのだそう。

が、油絵よりも何よりも有名な作品がありまして、おそらく日本に生まれ育った人でそれを手に取ったことがないのは、まだ甘いものを与えられていない乳幼児か、お抱えのパティシエの作った以外のスイーツは口にしたことがございません、という超お金持ちだけでありましょう。

その作品とは、森永ミルクキャラメルのあの黄色いパッケージデザインです。
側面の「森永ミルクキヤラメル」が右書きから左書きになったり、裏側の宣伝文が法で定められた表示になったり等の変化はありますが、表側は基本的なデザインは変わっていません。(まあ、今はキャンペーンの緑色のマークが入ってますけど。)

で、なんでこんなもんが出てくるかといいますと、この八木彩霞は水野広徳のオトモダチだったんですね。
彩霞のお父さんが失明していた当時、近所に住んでいたのが水野のお兄さんの光義。彩霞の息子さんのお書きになった伝記によると、按摩で生計を立てていた光義の縁で彩霞のお父さんも按摩になったそうな。

ただしこの伝記、光義まで目が見えないとしているけれど、そうではなかったはず。按摩イコール盲人の先入観による勘違いでありましょう。
というような間違いもあるため裏を取る必要がありますが、それでもこの伝記を信用するなら、水野の再婚の際の仲人が、彩霞なのだそうで。

仲人うんぬんの裏は採れていませんが、水野の日記にも、八木熊次郎(彩霞の本名)氏から息子光徳の結婚祝いを貰ったとの記述があるので、交流があったのは間違いありません。

意外な人とつながっているものですね。
 

いよいよ核心に

 投稿者:ebisu  投稿日:2010年 2月14日(日)19時39分53秒
  > 「陸上砲台とはやらない」が基本方針だったのだから、威力を確認し
> た時点で引くのは妥当な選択だったと思います。
> ならば始めからやらなければいいという考え方もあるでしょうが、
> 一度は威力がどの程度なのか確認しておかなくては、その後、作戦が
> 立てられないのでは。
→いよいよ核心に入ってきましたね。私も妥当な選択と思いたいです。
三笠らの旅順口突入攻撃の主目的は、敵艦の撃滅プラス砲台の威力確認、
なんですか?
「陸上砲台とはやらない(砲台から攻撃をうけても、砲台には応戦しない)」
や「威力を確認した時点で引く」は作戦計画(基本方針)のどこに書かれ
ているのでしょうか?
駆逐隊の奇襲攻撃、その護衛及び敵を外洋に誘出し戦闘するまでは、作戦計
画(戦策)にありますが…。

つまり三笠らの旅順口突入攻撃計画、予定は充分に考えられていなかったんです。
出羽司令官の敵状報告「…二隻以上傾斜、距離七千五百米で発砲せず…」
の誘惑にかられた、思いつき突入攻撃です。

出羽司令官の敵情報告(10:25分)を受けて、「要塞の砲火に暴露するかも
知れないが…」で東郷が突入を命じる。どうするかの作戦会議なんて、開催し
なかったし、また、反対や意見具申の余裕もなかった、という事でしょう。
東郷は見敵必戦ですから、已む終えませんね。
第三戦隊への「一斉転舵(退避)」命令は、島村あたりの進言があったんしょう。

> 確認しようと眺めている暇な人間はいなかったでしょうが、たまた
> ま目に入った可能性はあるでしょう。
→たまたまじゃ困りますね(笑い)。砲台の威力確認が目的であれば…。
戦闘の結果として砲台の威力(位置、砲門数、最大射程距離、砲撃可能範囲、
精度等)は、どうだったのか?
その後、数値化。図式化されたものが作成されたんでしょうか。
事前諜報データとの比較は? しかし、事前データはなかったと思いますが…。

> とおっしゃるということは、露日戦史の方が正しいとお考えということ
→正しいとか正しくないとかそんな議論はしていません。
砲台の脅威度合が判ったなら、その反省調査報告書が日本側にあって
しかるべきです。どこかに、ありますかね?

> 駆逐隊の奇襲や、山越えのあてずっぽう艦砲射撃で損傷した艦も、攻
> 防戦初期のうちは復旧しています。
→復旧は5月頃と理解しています。さらに開戦当初、旅順には戦艦のよう
な大型船を修理するドックはなかった。
山越え間接射撃も思いつきですよね(笑い) 誰の発案か?

> 私は「陸上砲台に守られた旅順艦隊に対し、何か良い作戦がおあり
>ですか?」とお尋ねしたのですよ? 砲台の下にいて出てこないままの
> 露艦隊をどうにかする方法があるのですか、と。
→相手が出てくる気がないのに、出てもらう良い方法なんてないでしょう(笑い)。
旅順口に停泊している時に何とかすべきだった。内港に入ってはど
うしようもありませんね。

> 上陸するだけでもかなりな時間がかかりますし(敵陸軍からの襲撃
> の心配のない仁川への、わずか2200余名の上陸でも丸々一晩か
> かっています)、鳩湾から5分や10分で要塞前に到達できるもの
> でもありません。徒歩移動ですよ?
→仁川と鳩湾を一緒にされちゃ困りますね。自然環境が違い
ますから鳩湾は砂浜海岸(泥質ではない)で干満差もそんなにありません。
ただ、流氷はちょっと気になりますが…。

陸戦隊で要塞の攻略? とんでもない無謀な作戦になりますね。
陸戦隊(200名規模)は旅順市街へ突入し、露軍の司令部を占拠し指揮
命令系統を混乱させる。あわよくば、露国側の高級指揮官を人質にとって
降伏を迫る。以上は、事前の諜報調査が充分なされたが、前提です。
結果論、現実論としては、事前の諜報活動が不十分なので無理。

鳩湾方面は、開戦前に軍令部伊集院大尉の諜報報告に“穴”だといった
報告があった気がします。結局軍令部はこれを活かせませんでしたが…。

「露日海戦史が正しくない、信用できない」とおっしゃっていますが、朝潮
の沈没誤認以外に何かあったら、その論拠を教えてくれませんか。
 
    (MV@管理人) 陸戦隊での攻略なんて言っていませんよ。「陸兵の前に、上陸し拠点を確保」とお書きなので、それを受けて、陸軍上陸の方向で検討したのです。
人質で降伏を迫って、ロシア側が応じなかったらどうするんでしょうね。そちらの方がよほど無謀と思いますが。
そもそも、国際世論を非常に気にしながら戦争しなければならなかった当時の日本が、そんな方法をとれるはずないじゃありませんか。

> 相手が出てくる気がないのに、出てもらう良い方法なんてないでしょう(笑い)。
> 旅順口に停泊している時に何とかすべきだった。内港に入ってはど
> うしようもありませんね。

ご自分が、「よい作戦」を提示される直前まで(「よい作戦」のすぐ前のご自分の投稿をご覧下さい)、2月9日の攻撃を、日清戦争での教訓を生かさず、また「海岸砲台の威力を恐れて退散」「無能、無策」とおっしゃっていらっしゃるのですよ?
だから、「陸上砲台に守られた旅順艦隊に対し、何か良い作戦がおありですか?」とお尋ねしたのです。
それなのに、そのおっしゃりようはないのではありませんか?

「良い方法なんてない」ということで結論が出ましたので、これで打ち切りにしたいと思います。
 

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