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真之と島村の対立について

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2011年 1月29日(土)10時41分7秒
  koma様への返信の続きです。

『元帥島村速雄伝』と、北澤法隆氏の論文「再考東郷ターン」(『海事史研究』2001年9月号所収)に、記述があります。
三笠は旅順口内部へ間接射撃をしに港外へ接近している途中に朝潮(『島村伝』では暁となっていますが朝潮の間違い)と邂逅したわけですが、真之は射撃のタイミングを逃すのを嫌って目的地への急行を指示し、島村は負傷者の収容を指示します。
参謀飯田久恒の回想では、この時真之は前部艦橋に島村は後部艦橋にいて、島村は前部と後部で意見が違う時は伝声管を使わないので、飯田はなんと30回以上も行ったり来たりさせられ、両方で叱られたとか。
結局、島村が「瀕死の負傷者を打ち捨て行くとは何事」と参謀長命令で収容をしたそうです。

黄海海戦の時にも、真之と島村が論争していて反転が3分遅れたために旅順艦隊を追いかける羽目になっています。
島村は人格者なのでこの二人がいがみ合うという事態にはならなかったと思いますが、しっくりといってはいなかったのではないかと思います。
 
 

はじめまして

 投稿者:koma  投稿日:2011年 1月28日(金)19時28分35秒
  はじめてメールします。
 私の曾祖父が昔海軍におり、日露戦争に参戦した、と亡き祖母より聞いていたことを、昨年末NHKの「坂の上の雲」をみていたとき思い出し、インターネットにて、検索したところ、このサイトにたどり着きました。
 私の曾祖父の名前は、松永光敬、といいます。第一駆逐隊の朝潮の艦長として、テレビの旅順口攻撃に参加していたのですね。とくに1904年2月10日の戦いは、「舷々相摩す」と秋山真之氏より報告されていたと知りました。実は、昔実家に、曾祖父の肖像画がかかっておりましたが、裏書をみてみるとこのときの功績を称えられ贈呈されたものであることがわかりました。ロシア側の報告書では、沈没したことになっているのもおもしろいですね。
 また、別サイトにて調べたところ、曾祖父は、海軍兵学校第15期卒業で、あの広瀬中佐と同期であることも知りました。祖父の妹、つまり曾祖父の娘にあたる人が、90歳を超え、今も健在で、先日話を聞いたところ「曾祖父と広瀬中佐は、仲がよかったと聞いていた。」とのことで、びっくりです。
 ところでその時の戦いについて、掲示板の2010年2月9日にebisu様より、「3月10日の駆逐隊の戦闘では、戦闘後に負傷者を三笠へ移送しに行った朝潮が(島村と真之が対立したのはこの時ですね)」とありますが、具体的にどのような対立だったのでしょうか?教えていただけると幸いです。
 
    (MV@管理人) はじめまして、ようこそいらっしゃいました。

そうですか! 朝潮の艦長がひいおじい様ですか!
いいですね。私の身内で海軍は、母の伯父が下士官だったらしいくらいしかありません。

アジア歴史情報センターの資料は検索なさいましたか?
3月10日の朝潮の手書きの戦闘報告を見ることが出来ます。
戦艦クラスだと報告は部下が書いたものを艦長は承認して提出するだけのことが多いようですが、駆逐艦だとひょっとしたら艦長自ら書いたものかもしれません。
http://www.jacar.go.jp/
こちらのトップページの簡易検索の所に  C09050273400 と入力すると出てきます。
10分に満たない砲撃で船体の破損が36個所もあったのですから激戦ですね。

上に続きます。
 

dan様へ、返信の続き。

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年12月31日(金)12時47分22秒
  下の返信の続きです。

マルタの旅行記の感想をいただきまして、ありがとうございます。
メールでは感想をいただいているのですが、なぜか掲示板に書いて下さる方がいなくて少々へこんでおりました。
おかげさまで続きを書こうという気力が出てきました。

アラビア語方言のマルタ語が残ったのは、マルタがキリスト教の勢力下に戻った後の支配者が、すべて他民族だったからではないでしょうか。スペインの場合、レ・コンキスタの名前通り国土再服でしたので、強制しやすかったかと。
さらにはマルタを支配した者はたいていの場合遠くにいて代理人に統治させていましたし、直接統治した聖ヨハネ騎士団は団内でも多言語混在でした。

わずか5日の滞在ではほとんど本で読んだ知識でしかありませんが、マルタの人は完全にマルタ語と英語のバイリンガルだそうです。公用語もマルタ語と英語の二つです。
マルタ語のあいさつを覚えていったのですが、外国人とみると英語で対応されてしまうので、使う機会がほとんどありませんでした。こちらとしても「ヨック・ヨジボック」より「プリーズ」の方が言いやすいですし。
イタリアのテレビ放送が受信できるし、お隣のイタリアからの観光客も多いので、イタリア語も出来るトリリンガルも少なくありません。
英語もイタリア語もカタコトの私は、両方の言葉で言ってもらって、わかるところをつなぎ合わせて理解してました。

塩野さんのスタンスがキリスト教よりなのは、仕方ないと思います。
イタリア在住の長い方ですし、お子さんはイタリア人ですし。
完全にムスリムの支配下に入ってしまった地域であれば、ムスリムの「寛容」を民族体験として持つことが出来ますが、イタリアはそうではないので、ムスリムは襲撃してくる敵でしかなかったわけです。実際、侵略者でした。
そうは言っても塩野さん自身は日本人なんだから第三者の見地からを期待してしまいますが、人間、自分の環境から抜け出るのがいかに難しいかという例だと思います。

http://homepage2.nifty.com/mv_storia/

 

はじめまして

 投稿者:dan  投稿日:2010年12月30日(木)21時44分20秒
  こんばんは。こちらでははじめまして、danです。社会人で公務員です。
あちらでお返事を頂いてありがとうございました!向こうでもお返事をさせて頂きましたが、改めてこちらでもご挨拶させて頂きたいと思いまして…
マルタ島への旅行記、大変楽しく読ませて頂きました!o(^-^)o 私は大学時代には古代ギリシア?ローマ史を専攻し、また塩野七生さんの著書も多く読んでいる事もあって、地中海世界の歴史には強い興味があります。
マルタ島は宗教的にはキリスト教(カトリック)ほぼ一色なのに、マルタ語はアラビア語方言というのは興味深いですね…マルタ島同様にかってイスラム教徒の支配下に置かれたスペインではレコンキスタ後、「けがわらしい異教徒の言葉を排除せよ」という主張の下にアラビア語の駆逐が進められたという事ですが、長年マルタ騎士団の支配下に置かれ、対オスマン帝国の最前線でもあったマルタ島に、現在までアラビア語方言が存続しているというのは不思議な気がします。
マルタ島はイギリス領であった関係から、島の方々はほとんどマルタ語と英語のバイリンガル状態という事なのでしょうか?
マルタ騎士団とオスマン帝国の攻防戦を描いた塩野七生さんの著書は私も読みましたが、どうも読んでいて塩野さんは心情的に明らかに騎士団側に立っている気が…『ローマ人の物語』のシリーズを読んでいても、塩野さんはオリエント勢力への評価が厳しめな気がしたのですが…その『ローマ人の物語』の中でキリスト教化される前のローマ帝国の宗教的寛容を高く評価し、キリスト教化によりそれが失われた事を嘆いていた塩野さんが、同時代のキリスト教勢力に比べてはるかに宗教的に寛容だったオスマン帝国(レコンキスタ後、スペインでカトリック教徒により残酷な迫害を受けたユダヤ人の亡命者の多くを受け入れたのはオスマン帝国)よりも、宗教的にはかつてなく不寛容だったキリスト教勢力の方に肩入れしているのが正直不思議な気がします。
MV様はイタリア語を学ばれているのですね。私はあちらでも少し触れましたが、数年前のロシア旅行以来、ロシア語を自学自習で学んでいますが、やはり外国語を習得するのはなかなか難しいですね…(^_^;)「坂の上の雲」のドラマの中のロシア語会話のセリフが幾つか聞き取れた時は思わず「やった!」という気持ちになります。MV様はイタリア語を学ばれていかがですか?
まだ一杯お話したい事があるのですが、今日はこれくらいで…
それでは失礼致します!m(_ _)m
 
    (MV@管理人) いらっしゃいませ。ようこそ!

例の件についてもう一つ言うなら、小池幸三郎の同郷人(といっても、小池の住まいがあったあたりと私の家とは歩いて行くにはちょっと厳しい距離ですが)としては、閉塞隊員の身になっても考えてしまうわけです。
「こっちは脱出するために一生懸命漕いでるのに、のん気に女のことなんか思い出そうとしてるなよ」と。
アリアズナのことが頭をよぎった程度ならともかく、ドラマの広瀬はわざわざ思いだそうとしてますでしょう?
私としては広瀬がそんな指揮官だったと思えませんので、なおぶち壊しに感じてしまうわけです。

返信は字数制限がありますので、上に続きます。
 

小池機関兵!

 投稿者:土原ゆうき  投稿日:2010年12月27日(月)22時17分45秒
  こんばんわ!土原です。こちらではお久しぶりです。

今日のブログの更新を終えてからこちらに来たのですが、同じような感想を抱かれているなとこちらを伺って苦笑い…
昨日の第9回は本当に色んな意味で涙が出ました。

アリアズナについては今までの放送が今まででしたので、はーあぁあぁという感じでしたが、痛恨の仁川沖海戦、第三次の閉塞作戦。
時間と視聴率に縛られるのがドラマですから全部描けとは流石に言いませんが、仕方ないとはいえ知ってしまっている身としては「何故!」と相当切ない感じでしたorz
来年からは陸軍が展開していきますが、どうなるんでしょうねえ。旅順とか旅順とか旅順とか。

原作の切り取り方によっても随分描き方にも偏りが出ますし…
あれだけの大作、しかも出版年が相当昔ということで、歴史考証やなんやを込みでも脚本を書くのは大変だろうとは思うんですが(--;

ブログへのコメントありがとうございました。
小池機関兵もばっちり出ていましたね!細かい所まで描いてるなと、正直驚きでした。
写真、ぜひぜひお持ち帰りさせてください!(卑猥な言い方だ…
ブログで紹介させて頂きますね。
有名か否かというだけで、作戦で亡くなった人であるということでは広瀬と同じ立場の人ですもの!

http://www16.ocn.ne.jp/~murakumo/

 
    (MV@管理人) いらっしゃいませ!

>旅順とか旅順とか旅順とか。
そうなりそうですよねぇ。
第10回が「旅順総攻撃」で第11回が「二〇三高地」ですもん。
なんで「黒溝台」がないのっ! 好古兄上の見せ場なのよっ! ……てなもので。
まさか黒溝台がまったくないというのは無いと思いますけど……。
 

とはいえ

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年12月23日(木)12時25分56秒
  閉塞作戦の砲撃そのものは迫力満点。
わざわざマルタの撮影所までロケしに行った甲斐があるというものである。
(だけに、その緊迫をぶち壊す編集が頭にきました。)

ところで、閉塞作戦はあと一回あるのだが、それはスルーか(-"-)。
私ひいきの水野広徳の人生を変えたのが第3回閉塞作戦の手記を書いたことなので、むしろ第3回を見たいのだが。

まあ、水野は『坂の上の雲』には名前が出てきたぐらいでちゃんと登場していないから、水野が出てくることは期待してないし、作戦自体の映像も無理だろ~なとは思ってたんだけど、「さらにもう一度行われたが」のナレーションすらなかったのは参加した将兵に気の毒では。
前2回を合わせたより大規模な作戦で犠牲者も多かったんだよ?

スルーと言えば、仁川沖の海戦がない! まったくない!
万全の備えをして完璧に勝利し目的を達成した戦いなのに!
韓国の港が舞台のせいか? ナレーションですら触れてない。

これじゃ、日露の海戦の前半はダメダメばっかりみたいじゃないか。
がるるる~。
 

『坂の上の雲』のドラマとしての構成にもの申す

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年12月20日(月)06時15分0秒
  第9回をまだご覧でない方は一週間待ってお読み下さいませ。

このドラマ、どうしてこうやたらと回想シーンや、こうだったらいいのにのイメージシーンが多いのか。

いや、あってもいいのだが、次は広瀬だ、という緊迫したシーンにああいうのどかな回想を挿入して流れを切る必要がどこにある。
「TAKEO……」という声が聞こえた、ぐらいならいい。百歩譲ってアリアズナの顔が一瞬頭をよぎった、までならまあいいだろう。むしろ緊迫の度を増す効果があると思うから。
でもあれは入れすぎ。邪魔。
あのシーンをどうしても改めて出したいなら、アリアズナの回想とすれば良かろうに。

そうかと思うと、第8回で律と季子が真之と子規の幼いころの話をしているのを真之が近くの部屋で聞いているシーン、ここでは当然花火の映像が挿入されると思ったのに、それはない。

歴史考証については、万人に見せるテレビドラマという宿命上、中庸にならざるを得ないというのは理解するし(中庸というより左に寄っているとは思うが)、あえて深く突っ込む気もない。
しかし、ドラマとしての構成についてはこの限りではない。

緩急をつける、ということの基本をこのドラマの構成者はわかっているのか。

撮影は第三部の分も終了しているようだが、編集作業はまだこれからだろう。
「緩」のシーンでは情感たっぷりに見せ、「急」のシーンでは緊張の糸を切らさないという基本を改めて考え直した上で完成させてほしいものだ。
 

『坂の上の雲』第8回&第9回

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年12月19日(日)20時15分30秒
編集済
  前回、

>ニコライ2世は本当は日本との戦争をまじめに回避しようとしてたけど、臣下が勝手に強硬姿勢をとってたので、開戦になっちゃったというのが最近の主流になりつつあると思うんだけど、ここは原作通り。

と書きましたが、第8回でニコライはちゃんと譲歩してましたな。

でも、臣下を統制するのも君主の仕事だからねえ。ニコライに責任が無いとは言えません。
そもそも、最後通牒に近い交渉案を出される前に、圧迫する側の危機感と、圧迫される側の危機感の差を考えなきゃならんでしょう。

第9回。
旅順口閉塞、第2回の時は第1回の時の経験によって、敵の探照燈で目が眩まないように黒く塗ったガラス板ごしに前を見ていたはずなのだが。要するに簡易サングラスですな。
こういう細かい準備ができる所が戦務にも功績を残した参謀秋山真之の特徴だと思うだけに、ちょっと残念。

名前と戦死するシーンがちゃんと出てきたので、小池幸三郎一等機関兵(ドラマ中では二等機関兵だけど、戦死後に昇進)の銅像写真を再掲載。
↓ わが地元の勇士です。


それにしても、回想シーンの多いドラマだとは前から思っていたが、いくらなんでもあの状況で回想している余裕はないんでないか?
 

『坂の上の雲』第2部

 投稿者:よ~いち  投稿日:2010年12月 6日(月)22時50分33秒
  まずは最初の方に出てきた三笠の砲撃シーン、一瞬でしたがあれは凄かったですね。

あとはず~っと広瀬とアリアズナ。好古の出番が少ない(T_T)


>アリアズナの家がコヴァレフスキーじゃなくコヴァリスキーという最新の調査結果のものになってる。

そうでしたか。横文字は苦手なので全く気づきませんでした(笑)
アリアズナに関する最新の調査結果、脚本の表記が変更されたことなどは、
PHPの「国際人・広瀬武夫」という書籍に載っていました。
寄稿者の一人である川村秀さんから頂いたのですが、広瀬の写真も多く、
とても興味深い一冊です。読まれましたか?

http://www.sakanouenokumo.com/

 
    (??) >三笠の砲撃シーン
そうですね~、最終回が楽しみです。って1年以上先じゃん!

BSHiの先行放送で来週の分も見ましたが、次はもうちょっと好古の出番、増えますよ。
飲兵衛の面目躍如(笑)。

横文字は私も苦手です(^_^;)
「荒城の月」を「盗作だわ」って言ったや~なおばさんが、「コヴァリスキー家の令嬢」と言ってました。

「国際人・広瀬武夫」、はい持ってます。最近広瀬についての本が続けて出てますが、これが一番読み応え有りますね。
(資料更新をしなきゃ……)
 

ドラマ『坂の上の雲』第2部がはじまりました。

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2010年12月 6日(月)02時07分44秒
  おお、真之が何か紙切れらしきものを靴下から出している。
ポケットがいり豆で一杯だったに違いない(笑)
いや、物を靴下に入れるのは海軍の正しい作法(?)なんだけど、真之はマナー破りの常習犯だったからねェ。

歴史解釈・考証が古いのと最新のとごっちゃ混ぜ。
ニコライ2世は本当は日本との戦争をまじめに回避しようとしてたけど、臣下が勝手に強硬姿勢をとってたので、開戦になっちゃったというのが最近の主流になりつつあると思うんだけど、ここは原作通り。
かと思うと、アリアズナの家がコヴァレフスキーじゃなくコヴァリスキーという最新の調査結果のものになってる。
原作通りで統一せんか(怒)。詳しくない視聴者は混乱するわ。
 

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