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訃報

 投稿者:MV  投稿日:2012年 1月 4日(水)21時13分43秒
  秋山真之の孫にあたる、大石尚子参議院議員が亡くなられました。

ごく短い時間ですが、三笠の日本海海戦記念式典で何度かお話しさせていただきました。
朗らかな方でした。

今頃天国で、初めてお会いになるおじい様に、ドラマではこんな風になっていたわと報告なさっていらっしゃるのでしょうか。

 
 

今年の抱負

 投稿者:MV  投稿日:2012年 1月 3日(火)12時23分59秒
編集済
  申し訳ないことに、震災がきっかけで昨春~夏は奥州藤原氏の方へ浮気しておりました。
もともと金ピカ好きで金色堂が気になってたというのがありまして(俗物だなぁ……)。
さすがにHPでそっちまで手を広げる気はありませんが。支離滅裂になるので(笑)。

夏ごろから出始めたドラマの関連本の新しいのを見かけるたびにとりあえず店頭でめくって見ていたら意識が戻ってきましたが、初歩的な所へ逆戻りしてしまったようです。
ドラマを見て「え?」「あれ?」と思った所を記憶違いかどうか確認していたら、ずいぶんリハビリ(?)になりました。

書きかけて未アップのまま止まっている丁字戦法についてのページに手を入れたいと思っていますが、それより先に、半端な所で止まっている旅行記をどうにかしなくちゃいけないかも、と……。

眼の方が怪しくなって来ているので(老眼じゃないです!と強調。それはせめて50代になってからにしたい)画面に向かう時間を削らねばならず、仕事の方を削るわけにいかないため再開してもゆっくりになると思いますが、気長にお待ちいただける方は時々覗いていただけると嬉しいです。

写真はどちらも中尊寺、金色堂を覆う覆堂と、眼病快癒祈願で有名な峯薬師堂のお守り、世界遺産登録記念の金色バージョン。
 

明けましておめでとうございます

 投稿者:よーいち  投稿日:2012年 1月 2日(月)17時09分29秒
  今年もよろしくお願いします。

ドラマが終わって「坂の上の雲」を扱う私たちとしては一区切りになりましたね。
とりあえず私は、ドラマに合わせて急ごしらえでアップした資料や情報を再整理しようかと。

地震も心配ですが、今年は平穏無事に過ごしたいですね。

http://www.sakanouenokumo.com/

 
    (MV(管理人)) こちらこそ、よろしくお願いします。

そうですね~。
よ~いちさんの所は再整理でいいですが、私の所は完全に止まっているのでどうにかしないと。

とにかく、今年は穏やかであればいいですね。
 

明けましておめでとうございます

 投稿者:MV  投稿日:2012年 1月 1日(日)21時57分24秒
  とにもかくにも年が明けました。

今年は穏やかであればいいなぁと思った矢先に震度4。……たくもぉ。
でも、今日の地震による被害の報告は今のところ無いようなので、
今年は地震、多くても小さくて被害のないものだけであればいいですね。

こちらへご訪問くださる皆様も、穏やかに過ごせますように。
 

ありがとうございます

 投稿者:オロモルフ  投稿日:2011年12月31日(土)12時12分56秒
  MVさん、無電機についてありがとうございます。
結局無電機が映像として出たのは、12回の一瞬だけだったのですね。
無電機の調査をしている人間としては寂しいですが、まあ、変な映像が繰り返し出なくて、良かったと思います。

たいした事では有りませんが、前に三笠の事務長さんが艦橋まで案内してくれて、敵前大回頭がなされた時の敵艦隊の位置はあのへんですと、具体的に浮かんでいる船を指さして教えてくれました。意外なほど近くに見えました。老眼のせいかもしれませんけど。

エムテイ出版の本は、三笠戦時日誌の全文ではないようです。私が興味を持っている無線の項目は、かなり略されているようですし、図面も略されています。読んでいてなんだか変だと思って、原文と比べてみました。

お仕事がらみで恐縮ですが、私が書いた本も100冊以上有りますが、今ではほとんど絶版です。時の流れを感じます。
 
    (MV(管理人)) いえ、たいしてお役に立てませんで、恐縮です。

一瞬だけでも興味のあるものが画面に出たのはうらやましいです。
水野広徳が出てこないどころか、水野のかかわった作戦すらまともに出て来ませんでしたから。
第三回旅順口閉塞とか、黄海海戦とか、戦艦セバストーポリ襲撃とか、日本海海戦の夜襲とか……。

事務局長さんは親切な方ですよね。
非公開の下甲板にある図書室とか、最下部の砂で埋まっている様子とかを見せていただいたのはちょっと自慢です。
この夏に勇退されました。

>エムテイ出版の本は、三笠戦時日誌の全文ではないようです。
あ、そうでしたか。私の興味ある部分はとりあえず一通り載っているので、気づきませんでした。

本が好きで出版社に入りましたので、忙しいだけでなく精神的にしんどい会議ですね。
私が10代20代の頃に夢中になって読んだ本が自社の目録から消えていくのは本当に切ないです。
 

大いに誤解、曲解していますよ

 投稿者:ebisu  投稿日:2011年12月31日(土)10時23分15秒
  >ともあれ、波が高かったという当方の主張は認めていただけたようですね。

出撃時、波が高かったという事(主張)は最初から認めてますよ。(苦笑)
ただ、貴方が「もっと高ければ良かった」等というから、「もっと高かったら水雷艇は活躍
できませんしたよ」と言っているだけです。
現に夜襲前には、波高はやや低くなっています。

水野ファンとしては、乱暴者と一語で片付けられるのも何なく嫌な感じですね。
所詮酒の席ですし…
水野自身が、著作の中で「乱暴者」と述べていても、あまり私としては使用した
くありません。
でも貴方の掲示板ですから、どうぞ自由に使って下さい。
 
    (MV(管理人)) そちらこそ誤解なさっていらっしゃるようで。

私が「もっと荒れてて欲しかった」と言っているのは、ドラマの中の昼戦の映像の波です。
あの映像では、「浪高し」に見えない、と言っているのです。
水野たちが出動した夜の波がもっと荒れていたら良かったということではありません。

>4~7m(もうちょっと荒れてて欲しかった)だったら駆逐艦、水雷艇は、横転の危険が
>あり出撃できませんし、出撃できても艦艇上の水雷発射操作は大変、水野、鈴貫は活
>躍できません。3m程度がちょうど良かった。まさに天佑と神助です。

この書かれようでは、当日3m程度だったと主張なさっていると誤解しても仕方ないと思いますが。
ですので、波高4~5mでも出撃はしていますと書いているのです。

ebisu様は水野の自伝をお読みなのですから、前半に喧嘩の記述がやたらと多いのは御存じでは?
とはいえ、水野の前半生を「乱暴者」の一言でくくるのはそれこそ乱暴なのは承知しています。
が、「蛮勇」には、乱暴な上に野卑なイメージがありますのでね。
この辺は言葉に対する主観の問題ですからこれ以上は止めましょう。
 

RE : スイマセン

 投稿者:MV  投稿日:2011年12月31日(土)00時18分56秒
編集済
  >後半生以下は、全く同感です。

おや、前半生は乱暴者でないとでも(笑)。
酔っぱらって司令長官の前で幕僚と乱闘しちゃうような人物ですよ(笑)。
それはともかく、枕詞がなくても通じる程度にまで知名度が上がってくれればと思っていますので考えたことがないのですが、水野を一語で著すなら「反骨」とか「剛毅」とかですかね。
枕詞には今ひとつ語呂が良くないですが。

反骨……容易に人に従わない気骨。権力に抵抗する気骨。
剛毅……意志がしっかりして物事に屈しないこと。

広辞苑 第五版より。ついでに引用すると、

蛮勇……理非を考えずに突進する勇気。向こう見ずの勇気。

やはりちょっと違うのでは。

おっしゃる通り佐藤の言は30周年の『参戦二十提督 日露大海戦を語る』です。
ですが、ここで佐藤が嘘を言うとしたら、理由は何でしょうか?
佐藤は小笠原による東郷の無謬化に抵抗を持っていたそうなので、嘘を言ってまで真之の手柄を東郷に帰すというのは考えにくいです。東郷を持ち上げるのが目的ではなく真之を貶めるのが目的というのも……。佐藤が真之に何か遺恨を持っていたという記述がどこかにありますか? あったら教えてください。

ちなみに同じ対談集で、安保が最上艦橋には東郷と加藤がいて、それ以外の幕僚は周辺にいて時々顔を出していたと言っていますね。
回頭の瞬間がどうだったかまでは言及していませんし、真之の名前も出していませんが。
先に書いたとおり、「どうでもいいとまでは言いませんが、それに近い」ので、この件に関してはこれで終わりにしたいと思います。

第十艇隊は午前中に退避を許された他の艇隊と違って、少なくとも第一戦隊他がバ艦隊主力と交戦を始める時間までは第六戦隊につき従っています。

ともあれ、波が高かったという当方の主張は認めていただけたようですね。
 

スイマセン

 投稿者:ebisu  投稿日:2011年12月30日(金)20時34分7秒
  >水野の名前を出す時に枕詞として「蛮勇」をつけるのは、止めていただけませんか。
>若い時は確かに乱暴者でしたが、後半生は文筆によって社会の目を覚まさせよ
>うと努力した人物です。その文章も、感情や感傷には訴えず、あくまで合理的な
>論法によって著述されています。
>蛮勇蛮勇と書かれるのは、あまり気分が良くありません。

後半生以下は、全く同感です。
退役後(後半生)、著述に対する圧力があってもそれに屈しない、その反抗心
に敬意を表しています。・・・この反抗心を尊敬表現で蛮勇と称していました。
楽な年金暮らしが出来たのに…
蛮勇という表現が気にさわったら申し訳けありません。以後使用しません。
何か水野氏につける良い枕詞ないですかね。皆さんが注目を引くような…。
海軍生活から死ぬまで、適用できる一つの枕詞??
とにかく有名にしてやりたい稀有な海軍軍人です。

>が、真之が佐藤に嘘を言う理由も、佐藤がこの件について虚偽の証言をす
>る必要もないと判断しています。

確か佐藤鉄太郎が日本海海戦の回顧談で述べた話だと思います。
この回顧談が、真之の存命中なら信憑性がありますが、死後の話なら死人に口なしです。
加藤、島村、真之の死後、20周年、30周年の記念行事に合わせ、嘘とホラが多くなる。
いつの回顧談か判ったら教えてくれませんか?

>でも出撃してるんですよ。
>第一艦隊の戦闘詳報の冒頭は当日の天候から始まっています。波についての部分
>だけ抜き書きすると、
>「波浪ノ方向亦西南ニシテ其高サ四乃至五 艦体ノ動揺稍甚シクシテ是レニ反航ス
>ルトキハ激浪ノ飛沫常ニ前甲板ヲ洗ヒタリ 夕刻前(略)波浪ノ高サモ聊カ減シタリ
>シガ波長ハ却テ増大セリ」つまり、昼戦の時点では4~5mです。

艇隊は第一艦隊に随伴して鎮海湾から出撃はしたのですが、あまり波が高いので
「三浦湾(対馬)」へ一時退避させています。で、昼戦は不参加、波高が低くなった
ので夜戦に備えて夕刻三浦湾を出撃しています。
水野の艇隊も尾崎湾から出撃したが、波が高いので、ツツ湾(対馬)へ一時避難、
これまた昼戦は不参加、夜戦に備えて夕刻思い切ってツツ湾を出撃。

そもそも艇隊は日中戦闘海域にいても常に非戦側に位置し、水雷戦は試みません。
夕闇で、敵艦が判らなくならないように狙いをつけ、ただウロチョロしているだけです。
 

RE:感想の感想

 投稿者:MV  投稿日:2011年12月30日(金)11時52分15秒
  >亡き親父は重巡洋艦の機関兵でしたが、スラバヤ沖海戦で敵追跡のため全速航行を始めた時、艦がガタガタして新兵の親父は怖い思いをした、と語り草に聞きました。

そうですか。実体験なさった方の言は重いですね。

>陸上で距離8K先の100m(長さ)の物体がどんな感じで見えるか、実体験できますよ。

陸上では試したことがあります。
野村實さんの『日本海海戦の真実』に、「海上で八〇〇〇メートルというと、船に乗っているものからすれば呼べば答えるほどの距離感である。陸上ならば、せいぜい一〇〇〇メートルほどの感覚に相当するだろう。」とあるので、海上だと感じ方が違うのかなと思っていたもので。

>佐藤は第2艦隊参謀ですから、最上艦橋の現場を見た訳ではありません。
>真之からの聞き書きです。

それはそうで、現場にいた人の証言があればいいとは私も思います。が、真之が佐藤に嘘を言う理由も、佐藤がこの件について虚偽の証言をする必要もないと判断しています。

>で、回頭の瞬間、秋山が最上艦橋にいたかどうかはあまり意味がありません。

同感です。どうでもいいとまでは言いませんが、それに近いです。
ただ、「菊田氏の著作の何から何までが間違いってわけじゃない」例として出しただけです。
例に出来るのが重要でないところだというのが、また何とも……な訳ですが。

>波浪等級は現在の規定でしょうか。それがあてはまるのか、ちと疑問。

波浪等級はエムティ出版の『戦艦三笠すべての動き』の頭注を参照しました。この本は三笠の戦時日誌の全文ですので、当時のものと解釈しております。

>4~7m(もうちょっと荒れてて欲しかった)だったら駆逐艦、水雷艇は、横転の危険があり出撃できませんし、

でも出撃してるんですよ。
第一艦隊の戦闘詳報の冒頭は当日の天候から始まっています。波についての部分だけ抜き書きすると、
「波浪ノ方向亦西南ニシテ其高サ四乃至五 艦体ノ動揺稍甚シクシテ是レニ反航スルトキハ激浪ノ飛沫常ニ前甲板ヲ洗ヒタリ 夕刻前(略)波浪ノ高サモ聊カ減シタリシガ波長ハ却テ増大セリ」
つまり、昼戦の時点では4~5mです。
アジ歴のレファレンスコードはC09050252500 ですのでご参照ください。

お願いがあるのですが。
水野の名前を出す時に枕詞として「蛮勇」をつけるのは、止めていただけませんか。
若い時は確かに乱暴者でしたが、後半生は文筆によって社会の目を覚まさせようと努力した人物です。その文章も、感情や感傷には訴えず、あくまで合理的な論法によって著述されています。
蛮勇蛮勇と書かれるのは、あまり気分が良くありません。
 

感想の感想

 投稿者:ebisu  投稿日:2011年12月29日(木)10時52分18秒
  >取り舵一杯だと艦はここまで傾くのか、とか、距離8000てことは8キロメートル
>ということで、いくら当時最大の戦艦同士とはいえ相当小さく見えるんじゃないの?

最大速力15ノットの全速航行中の「取り舵一杯」ですから艦が傾き、きしみます。
亡き親父は重巡洋艦の機関兵でしたが、スラバヤ沖海戦で敵追跡のため全速航
行を始めた時、艦がガタガタして新兵の親父は怖い思いをした、と語り草に聞きました。
軍艦の全速航行とはこんなもんでしょうね。

傾きは、乗艦しないと判りませんが、
陸上で距離8K先の100m(長さ)の物体がどんな感じで見えるか、実体験できま
すよ。

一斉射撃ですから砲術長の射程距離連絡通知が大変なのが判りました。信号兵
(伝令)のメガホンによる大声通知、時計文字盤を利用した連絡、果ては黒板による
「打ち方止め」の告知等など、砲撃音の中では大変です。
前後主砲は最大有効射程距離~12000m、副砲は~8000m。敵副砲の射程内に
入った事、及び8000mで打ち方初めの戦策なので安保砲術長の焦る気持ちが
よ~く判ります。ダンカン(伊地知艦長)の「取り舵一杯」の声は、気合が入ってい
ない、やり直せ(苦笑)

ところで海戦が始まってから午後2時10分過ぎになりますが、最上艦橋には誰がいたのか?
東郷、加藤、秋山、安保砲術長、今村中尉砲術長付き、測定士長谷川少尉、伝令(候補
生2名、信号水兵2名)と推測しています。東城画伯の絵から人数減。
艦長は操舵室(又は司令塔)、航海長、航海長付き枝原少尉は海図室(又は司令塔)。飯
田、清河の両参謀、副官は司令塔。
即ち、東郷、参謀、副官以外は戦闘時どこに位置どるかは定められていた。

>封密命令と言ってるのにものすごく違和感があるんだけど、密封命令とどっちでもいいの?

極秘海戦史では、封緘命令です。

>敵前回頭の瞬間に真之が前部艦橋にいなかったってのは佐藤鉄太郎の証言が残って
>ます。ここは菊田氏が史実通りで、『坂雲』は史実ではない。

佐藤は第2艦隊参謀ですから、最上艦橋の現場を見た訳ではありません。
真之からの聞き書きです。
Z旗が揚がってから最上艦橋には、前述の通り将校は6人でしょう。
この6人の発言であれば信頼が持ってますが…。佐藤発言だけでは裏がとれない。
回頭は東郷の独断でしょう…加藤には事前に漏らしていたかもしれませんが…
で、回頭の瞬間、秋山が最上艦橋にいたかどうかはあまり意味がありません。
少なくとも、加藤の指示(最上艦橋に戻れ)が聞こえる最上艦橋の近くにはいたで
しょう。前部艦橋、前部シェルターデッキ等など。

>あれじゃ「浪高し」じゃなくて、せいぜい「浪荒し」か、ひょっとすると「浪稍荒し」じゃ
>ないの?波浪等級「浪高し」は4~7メートル、「浪荒し」が2.5~4メートルで「浪稍荒し」
>は1.5~2.5メートル。。うん。もうちょっと荒れてて欲しかった。

波浪等級は現在の規定でしょうか。それがあてはまるのか、ちと疑問。
4~7m(もうちょっと荒れてて欲しかった)だったら駆逐艦、水雷艇は、横転の危険が
あり出撃できませんし、出撃できても艦艇上の水雷発射操作は大変、水野、鈴貫は活
躍できません。3m程度がちょうど良かった。まさに天佑と神助です。

蛮勇水野が、大口湾尾崎停泊時に当直の水兵から起こされたとき、開口一番、「風は
どの程度か」と聞いています。
 
    (MV(管理人)) お久しぶりです。

字数が多くなるので、返信は上で。
 

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