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BUON ANNO! 

 投稿者:MV  投稿日:2014年 1月 1日(水)11時12分14秒
  明けましておめでとうございます。

BUON ANNOはイタリア語の新年のあいさつです。
英語に置き換えればGOOD YEAR。タイヤ屋さんか(笑)。

ぜ~んぜん更新していない状況で新年の挨拶だけも心苦しいのですが。
今年は何とか仕事を簡略化して(サボるという意味でなく、データ処理のパターン化の意味)画面とにらめっこの時間を減らし、自宅でももうちょっとパソコンをいじれるようにしたいと思ってます。
上手く言ったら更新も少しはできるかも。

写真は昨年のお正月に行ったヴェネツィアとジェノヴァで撮ったものです。
上から、

ヴェネツィアのコッレオーニ将軍騎馬像。
 午年なので。顔がこっちを向いている写真もあるけれど、背景の教会が修復中で工事の足場が組んであるので。

ジェノヴァのてつのくじら館……もとい、海の博物館で公開されている本物の潜水艦518号。
 他にも中世のガレー船とか、移民船の船室(母を訪ねて三千里のマルコはこんなのに乗ってたのかな?)とか、実物大で見られる物があって、言葉がよくわからなくてもそれなりに面白い。

一番下がジェノヴァ新港で見かけたアンサルド社の看板。
 日露戦争の装甲巡洋艦「日進」「春日」がジェノヴァのアンサルド社製というのはずっと前から知ってたのだけど、どこにあるのか事前にいっくら調べても分からなかったので、帰国のため空港に向かう途中のバスから看板を見かけて急いで撮りました。
 同名の別会社だったりしなければ、鈴木貫太郎もこの辺を歩いてたのかしら、なんて思ったりして。

では、お心の広ーい方はたまに覗いてやってくださいませ。

http://homepage2.nifty.com/mv_storia/

 
 

どうもすみません

 投稿者:MV  投稿日:2013年 6月 1日(土)15時22分32秒
  放置にもほどがありますね。
1年以上サイト更新もしなければ、掲示板での挨拶もしてないとは。

言い訳がましいんですが、今年2月から3月にかけてちょいとばかり入院しまして。
取ってみたら、大きいけど悪いものでは無かったということで、まあ一安心。
しかし、アラフィフともなると、体力がなかなか元に戻りませんな。

入院と通院でだいぶ休んで職場に迷惑をかけたので、
今年の5月27日は涙を呑んで仕事に行きました。(/_;)
土曜日か日曜日だったら行けたのになぁ。

今後ですが。
前の職場ではなんだかんだで画面の前を離れることもあったのだけど、今は完全に張り付きっぱなし。
眼病持ちがパソコン仕事をしてるんだから当たり前ですが、目の疲労が半端じゃなくて。
歳のせいも……あるんでしょう、ねえ。認めたくありませんが。

よそ様のサイトを読む時も、長文はプリントアウトして紙で読むような状態ですので、
更新停止状態もご容赦ください。
どうもすみません。
 

mini92

 投稿者:mini92メール  投稿日:2012年 2月21日(火)06時23分48秒
  電光石火の回答ありがとうございます。
「坂の上の雲」は昨年はじめて図書館で借りて読みました。
司馬遼太郎の作品としてはじめて読みました。
貪るように読むような状態にはなりませんでしたが、どうにか読みきりました。
原作とNHKで放映された「坂の上の雲」とを比べてみようと思っています。
しかし、自宅に帰ったときに録画をみるので進みは遅いです。単身赴任中ですから。
また水野が育った昔の松山がどのように再現されているかに興味があります。
テレビではドラマチックにしないとならない面があって脚色が甚だしいのが残念です。
まあ仕方ないですね。
 
    (MV(管理人)) 小説とドラマは表現形態が違いますから、ある程度の脚色があるのは仕方ないし、場合によってはあるべきだとも思います。
ただ、原作と世界観が違ってしまったり、史実とも違ったりするのはNGですね。
『坂の上の雲』で言えば、子規が日清戦争に記者として赴いたあたりとか、真之が女性も自立しているべきと考えているとか。
もっとも、原作では女性は端役ていどにしか登場しないので、真之の女性観自体がほとんど出て来ませんが。

原作や史実との関係を横に置いてドラマ単品で見たとしても、緊迫感をいきなり断ち切るようなカットを入れるあの演出はどうかと思いました。
 

坂の上の雲

 投稿者:mini92メール  投稿日:2012年 2月20日(月)20時47分59秒
  よろしければお教えください。
「坂の上の雲」に2回水野広徳の名前が登場すると解説されています。
1回(正確には2回)は、下記であることを自分で見つけました。もう1回はどこでしょう?

当時、水雷艇第四十一号の艇長だった水野広徳という人が筆達者で、戦後、「一海軍
中佐」という匿名で「戦影」(大正三年・金尾文淵堂刊)という本を書き、またこれより
前、明治四十四年刊で「此一戦」(博文館刊)という著作名を明記した本を書いている。
この二冊のどこかにあったとおもってさがしてみたが、なかった。
 もう一冊、右の水野広徳とよく似た文体の書物で「砲弾を潜りて」というのがある。
著者名は川田功という海軍少佐で、この時期水雷艇の艇付少尉であった。この「砲弾を
潜りて」をみると、なるほど主人公が李舜臣の霊に祈るところがある。
 
    (MV(管理人)) いらっしゃいませ。

もう1回は、最終章「雨の坂」の数ページ目、文庫新装版なら8巻の277ページです。

「あの戦場で、この提督は戦闘なかばで重傷を負い、鮮明な意識の人ではなくなった。(略)ただ水野広徳大佐だけがその著書においてこの経緯に触れ、司令部が兵を救わなかったことについて倫理上の攻撃を遠慮しつつも、客観的な態度で一句を挿入している。「嗚呼兵は兇器なるかな! を叫ばざるをえない」という。戦争は悲惨でこれを軽々になすべきではない、という意味である。」

どうぞご確認ください。

それから、この掲示板の仕様の問題で、投稿いただいた文章の一部だけをアップするということはできませんので、先の投稿は申し訳ありませんが未掲載となっております。
ご了承ください。
 

すみませんすみません!

 投稿者:MV  投稿日:2012年 2月 7日(火)20時27分26秒
  下の「Re:反骨の軍人・水野広徳」の中に間違いがあります!

>秋山兄弟の父と、伯母の父とが兄弟とするものがあったと思います。

文章を手直ししている間に、従兄弟の「従」を消してしまいました。

「秋山兄弟の父と、伯母の父とが従兄弟とするものがあったと思います。」と書こうとしたのです。
大変失礼しました!
 

Re : 反骨の軍人・水野広徳

 投稿者:MV  投稿日:2012年 2月 7日(火)00時03分14秒
  自伝の生原稿を御覧ですか! いいですねぇ。
いずれ定年退職したら(って、10年以上先ですが)半年ぐらい松山に滞在して子規博にある水野の遺品を全部見てみたいものです。

「こと」==>「ところ」は……確かにそのままでいいですね。なぜでしょう?

>せめて松山出身者には

先日、会社の先輩が松山東高校(水野の母校)の出身であったことを知りましたが、水野の名を知りませんでした。……まあ、10年前は、水野どころか秋山兄弟でさえ知らない松山市民が多かったそうですから、仕方ないのかも。

水野の義理の伯母と秋山兄弟ですが、水野は「いとこであったと思う」と何度か書いています。
しかし、どの本で読んだのか失念しましたが近年の評論のどれかに、秋山兄弟の父と、伯母の父とが兄弟とするものがあったと思います。
また、リニューアルの際に消えてしまいましたが、秋山兄弟生誕地の前のホームページの来訪者紹介のページに、秋山兄弟の父の親戚にあたる笹井家の子孫が来訪という記事があったことがあります。
ですので、いとこよりはもう少し遠いのではないでしょうか。
 

反骨の軍人・水野広徳

 投稿者:mini92メール  投稿日:2012年 2月 5日(日)20時57分15秒
  早速ご返答いただきうれしい限りです。ご意見はありがたく拝領します。
とにかく水野の若かりしときの境遇が恵まれていなかったのは確かですね。いまは恵まれています、実に。
大変な苦労をされた先人達には深く感謝しなければいけません。
ところで、昨年12月に子規記念博物館を訪問し、「剣を吊るまで」と「剣を解くまで」の水野の生原稿を
一部拝見し写真におさめてきました。もちろん有料です。
写真と比較すると、「反骨の軍人・水野広徳」はところどころ細かな修正が施されているのがわかりました。
たとえばの「思想の大転換」の終わりに「何か得ることが有ったか」と本には記されていますが、生原稿は
「何か得るところが有ったか」となっています。この修正の意図はわかりません。そのままでよいと思いますが。
また「かくて僕は錆び朽ちた軍国主義の鎧を欧州の海に投げ棄て、世界の軍備撤廃の新しい理想を抱いて
大正九年五月に本に帰った」とありますが、生原稿には五月の「五」が記入されず空白になっています。
おそらく他の記述などから五月とわかり記入されたのだと推測します。という程度のことまで把握しました。
子規記念博物館で写真撮影に立ち会っていただいた方には、水野は郷里松山の出身者だからもっと取り上げても
いいのではとお願いをしてきました。全国的には水野が知られてないのは間違いないけれども、せめて松山
出身者にはどんなことをした人か少しは知ってほしいと率直に思います。
それから、もしご存知であればお教えてください。
秋山好古、真之と水野のつながりを。「笹井家」の終わりに、「秋山好古大将や真之中将は父方の従弟に
当たったので、それが伯母の大いなる誇の一つであったらしい」とあります。水野の義理の伯母が
秋山好古大将や真之中将の従弟なのでしょうか。年齢からするとそんなものかなと思うのですが。
 

Re : 軍服を脱いだジャーナリスト

 投稿者:MV  投稿日:2012年 2月 5日(日)13時44分44秒
  水野についての書き込みを頂けるのは大変嬉しいです。

>「剣を解くまで」を忠実に再現したまでと感じます。

そうですね。再現ドラマとしては、その通りです。
しかし、その直後に、「水野は、当時の軍部の方針に、真っ向から異議を唱えたのです。」とナレーションが入り、水野の退役がその直後であるかのような雰囲気になっています。
水野を知らない視聴者が見たら、海軍大臣は水野の言を一蹴したととるのではないでしょうか。
もっとも、近代史を知らない視聴者はこの大臣が加藤であることも知らないでしょうから、加藤が悪役に見えてしまうではないかというのは知っていればこそではありますね。

あの番組には、サイトに書いた以外にも細かい間違いがいくつか。
たとえば、水野が晩年を過ごした大島は後妻の実家であって、故郷は愛媛は愛媛でも松山であるとか、水野の遺稿は31年後の発見の前に、実は戦後間もなく松下芳男の眼に触れていて、著書『水野広徳』に言及があるとかがあります。
が、何しろ43分しかないのですから、そこまで望むのは難しいでしょう。

日本の幸運は、第一次大戦後に徹底的に搾りあげられたドイツがどうなったかを世界が見た後であったことと、冷戦構造の中でアメリカが前進基地として日本を必要としたからであったことによるものでしょう。
当時そこまで予測できなくとも無理からぬ話です。おっしゃる通り、神ではないということで。

水野が暴力的であった時代は、守ってくれる人も守らねばならない人もなかった時代とイコールです。だから、ただ攻撃的で在れたのだと思います。
ですので、私が若い水野を「乱暴者」と言うとき、暴力という方向に発現してしまったことに対する非難とともに、彼の孤独への痛みが伴います。
しかし、並の人間が守るべき者のために信念を矯めてしまう中で、なおそれを貫いた水野は勇気ある人でした。

出来れば、疎開先に持って行った原稿だけでなく、空襲で焼失した自宅に書きためてあった原稿も現存していたならと思います。
 

軍服を脱いだジャーナリスト

 投稿者:mini92メール  投稿日:2012年 2月 2日(木)22時11分18秒
  はじめまして。
たまたま図書館で「反骨」を打ち込んで検索したら、「反骨の軍人・水野広徳」がヒットし、読んでみたら実に面白い。今から五~六年ぐらい前のことです。その後「その時歴史が動いた」をみたら、「水野広徳」が登場したので、もちろん録画をしました。この映像を所持している方はそうそうはいないでしょうから、MVさんのご意見に重ねて私見を述べます。
「軍服を脱いだジャーナリスト~水野広徳が残したメッセージ」についてです。
「剣を解くまで」に、加藤友三郎大将が、水野の帰朝報告に対し、「フン、そうか」と言ったばかりだったとあります。これば番組の印象に近いと思います。加藤友三郎を悪役にしている意図はなく、「剣を解くまで」を忠実に再現したまでと感じます。
「興亡の此一戦」の発禁が空襲の悲惨さを描いたからのようにとれるのは同感です。演説が妨害された描写もMVさんに同意見です。「一切の発表の場を奪われてしまった」は、「反戦意見」を付加すれば正しくなります。時間を惜しむあまりか、説明不足が目立ちます。
水野も神ではないので、誤りもあります。「剣を解くまで」の「ドイツの敗因」の最後の文章は、「一度敗らるればドイツの惨だけでは済まぬであろう」ですが、敗戦後の日本は、第一次大戦後のドイツよりは恵まれていたと思います。この点は日本は幸運でした。
水野は立派です。若い時代に暴力的であったことはいけませんが、死ぬまで己の信念を貫きかつその信念が間違っていなかったことを確認できたので、最後は報われたのではないかと思います。どう考えてもわたしには難しいことです。それをやりとげた水野は本当に素晴らしいです。いまになって讃えられるのは、文章を書き記し、かつ焼失したりせずに残ったからです。その点で水野は恵まれていました。
 
    (MV(管理人)) ようこそ、いらっしゃいませ。

返信は上にて。
 

転勤。 。。。

 投稿者:MV  投稿日:2012年 1月30日(月)23時17分40秒
編集済
  マジかい。

勤続26年弱、ず~~~っと流通管理だったのだが、今日の午後、いきなり、
「2月から本社勤務です」
って、……えええええ!?!?!?

いや、行けと言うなら行きますが。
通勤時間が半分になるし、何より母が倒れたと連絡の入ったときに電車に乗ってる時間がものすごく長かった記憶があるんで有り難いっちゃありがたい。

しかし、1日半で引き継ぎなんて絶対無理! ……と思ったら、それは分かってるという訳で、辞令は2月だけど1週間は今のとこへ引き継ぎに通うことになった。

……という訳で、当分は残務整理とマニュアル作りを家へお持ち帰りとなるので、ようやっと手をつけたページの作成が中断となりました。

すみません。
 

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