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古鷹山に登ってきました。

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2015年 5月 6日(水)10時53分47秒
  無沙汰をしておりますが、生きております(^_^;)
元気な証拠に、古鷹山に登ってきました。
こちらへ来て下さる皆さんならご存じの、今は海上自衛隊幹部候補生学校、昔は海軍兵学校の生徒さん達が鍛練に登る山です。

ゴールデンウイークの2日から5日まで呉に滞在して、3日と4日の天気予報のいい方に登ろうと計画。
なるべくなら3日が良かったのだけど、一日じゅう雨の予報だったので、午前中で止みそうな4日に決行。
滞在を6日までにしておけば、一日いい天気の5日に登れたんだけどな~。

呉から電車で呉ポートアイランド駅に移動、フェリーで江田島の北東先端の切串港に渡って、クマン岳から古鷹山へ縦走、小用港からフェリーで呉に戻るコースです。

この登山で最大の戦いは、事前に予想されていた、
・私の体力が持つかでも(奥武蔵の同程度の山々を歩いて訓練済み)、
・持参したスポーツドリンクが足りなくならないかでも(いつもの量より小さいのを1本余分に持った)、
・岩場が降りられなくて立ち往生しないかでも(奥武蔵でこれより小規模のは経験済み)、
・滑落して怪我して身動きできなくならないかでも(ストックで足元を確認して歩く習慣づけ済み)、
・道に迷わないかでも(地図読みの勉強&タブレットにGPS利用の地図アプリをインストールして実験済)、
・天気予報が外れて大雨になったりしないかとか(天気予報で天気図確認済み)、
・眼鏡を落として壊してしまわないかでも(ストッパー装着&スペア持参)、
・予想より時間がかかって日没になったりしないか(ヘッドライトと予備電池持参)
でもなく、

行く手に、頭上から糸を引いて無数にぶら下がっている虫たちでした……!!!

そういう季節だからなのか、小雨&雨上がりだからなのか、雨で一日以上誰も登っていなくて払ってくれた人がいなかったからなのか、とにかく一瞬であっても気が抜けない状況で、途中で拾った棒きれを車のワイパーのごとく振りながら歩いておりました。

それでも、
・腕とか足とかにいつの間にか虫が這ってたとか、
・滑りやすそうなところで足元を注視して登って顔をあげたら目の前10cmの所に見事なクモの巣があったとか、
・帽子のつばから虫がこっちの顔をのぞいてたとか、
も~半泣きです。

頭上が開けているところはいくらも無くて、帆立岩の周りと、クマン岳や古鷹山の頂上ぐらい。
そこでは巨大なアブが常時ぶんぶんぶ~んと飛んでいて落ち着かないこと落ち着かないこと。
天気がイマイチで途中までは遠望もきかなかったですし。

でもいいのです。古鷹山からの眺めは最高だったから!
ここに秋山真之や広瀬武夫や、兵学校移転以降の歴代の生徒さん達が登ってたんだな~と思い、感無量でした。

写真は、上から
・Google earthに張り付けたGPS記録、
・頂上にある東郷平八郎謹書の五省訓、
・海上自衛隊第一術科学校、かつての海軍兵学校
です。

虫さえいなければ、午前中に小雨は降ったけど気温もちょうどよくて気持ちのいい登山でした。
楽しかったです~~~。
 
 

矢野さんと管理人さんへ

 投稿者:kurokoma  投稿日:2015年 1月14日(水)22時53分59秒
  呉の海保大出の元海上自衛官です。学生時代、夏冬休暇は毎年短艇巡航で、夏は2週間かけて小豆島往復をし、途中大島の対岸の伯方島や今治に寄り、例年斎島、安居島、岡村島、伊吹島、粟島、佐柳島、尾道、多度津、坂出、高松等に寄り、弓削島の近くでは、雨で濡れ、冷え切って寄港した所で、学生は休暇中のお宅の施設で入浴させて頂いたり、乾いた毛布を使わせて頂き、生き返った思い出があります。先日、松下芳男著水野広徳伝で引いたら管理人さんの表紙写真付きの関連図書のリストが出てきましたが、今日は駄目でした。必ず宝の山が堀当てられますからトライして見て下さい。出光著の方は飛び入りが幾つかあって現在中断中ですが、間もなく再開させて頂きます。明治30年の艦隊の大規模戦術運動訓練実施の記事が出て来ました。  
    (MV(管理人)) いらっしゃいませ。表示が遅くなって申し訳ありません。

私は瀬戸内海は呉~松山間を高速船で移動したことしかありません。しかも出航してすぐ日が暮れてしまったので景色も眺められませんでした。
いつか、ゆっくりとクルーズしてみたいです。
 

明けましておめでとうございます

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2015年 1月 2日(金)01時21分22秒
  (もはや恒例となりつつありますが、)
更新が滞りまくっているサイトにおいで下さった方々、有難うございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。
 

驚き

 投稿者:矢野  投稿日:2014年12月31日(水)17時07分45秒
  大島の吉海町の出身です。津倉小学校に通っていました。海軍が多い家で、父も海上自衛隊、自分は弓削商船高専に行きました。水野さんのことを「花へんろ」で知り、驚きました。すぐ近くに疎開していたなんて・・・  
    (MV(管理人)) そうですか、大島の方ですか!
晩年の水野がどんな景色を眺めながら過ごしていたのか、一度行ってみたいと思っています。

近くに疎開していたのをご存じなくても、仕方ないと思います。
松山出身の人が同じ会社にいるのですが、名前すら知らなかったですから(苦笑)。
 

出光著読後感第4回

 投稿者:kurokoma  投稿日:2014年 6月20日(金)10時32分33秒
  第3章の最後の秋山の講義録の抜粋が良かったです。特に「海軍基本戦術 第二編」の二つの枠入りの抜粋です。これには、必ずしも正しき丁字たるを要せず、イ字となるも妨げず、とイの字を明示していますが、著者のこれに対するコメントは未だ見えません。次の枠の丁字対勢保持の途は一斉回頭の斉動と減速のみ挙げ、方向変換は挙げていませんが、このコメントも無いです。これらの前の137頁の下の方に「並航戦」という言葉がありますが、これは、正の丁字と同様、正の真並行、真同速、並頭の仮想の「並航戦」と考えるのが良いと思います。通常の「並航戦」は斜め同航戦のことで、かなり大きな交角、それこそ89度でも斜め並航戦で、前に出ても、後に遅れても「並航戦」で、勿論不正な丁字の斜め並航戦の丁字戦法も含まれています。この秋山本人の言で、丁字が無かった等の神話は蒸発霧散したと思います。連繋水雷関連で、艦隊機密(聯隊機密)(日露M37-362)の綴りの中の聯隊機密1217(37,10,24)に聯合艦隊訓令(連繋水雷と公称)が出て来て、37年8月から、バルト艦隊対処で連繋水雷の開発試験を始めて、同時使用の偽水雷(聯隊機密1089-3(37,9,26))の搭載散布関係令達も出て来ました。17期同期の森山、秋山のアイデア発案、スケッチ書きの話も日本海直前ではなく、かなり前からが正しいようです。同期の山路も十月に類似のアイデアを出しています。横鎮様?からは何かコンタクトがありますか?  
    (管理人) 返信が大変に遅くなりまして申し訳ございませんでした。

不正の丁字、すなわち丁字が直角でなくてもいいとは初めから言及されていたことですので、丁字戦法はなかった論の発端の方の、「丁字形になっていない」という指摘は意味がないとは、かなり早くから感じておりました。

でありながら、黄海海戦で直角の丁字戦法を仕掛けて旅順艦隊を一度は取り逃がしたのは、「丁字」という言葉に当事者たちがいつの間にかとらわれていたのではないかと考えています。
が、無意識の意識という次元の話はこういう議論の際には不適切でしょうか。

なお、横鎮様からはその後何もありません。
 

出光著読後感第3回

 投稿者:kurokoma  投稿日:2014年 6月 7日(土)11時00分44秒
  レガッタは軽くて早くて快適でした。櫂の持ち方が違い、カッターのくせが出て何度も痛い目にあいました。水野著、私のは昭和初期、改造社版、例の写真があり、後ろの自伝も良かったです。仲良しの陸軍の松下著の幻の伝記は、野村吉三郎関係資料内にあり、後で同期であることを知り、恥ずかしい次第です。野村は出版にも尽力している筈です。出光著、読了に23時間かかり、2回目を読み始めました。今は史料の有る所にいますので、兵語界説、日露戦前後の兵学校教科書、大正末までの海大や砲術、水雷両学校や艦隊、戦隊司令部の戦術の講義の内容や担当者を調べています。感触ですが、戦術の担当者が攻撃の主力の鉄砲屋ではなく、水雷屋や航海屋で、これでは当然歪が生じます。露日海戦史、英武官の本国へのハード、ソフトの報告、英側収集の戦闘後の露海軍の情報等、使用用語も含めて楽しみです。出光氏ご本人とはコンタクトできました。  
    (MV(管理人)) レガッタ……シェル艇ですか? 私はナックルフォアとシングルスカル・ダブルスカルしか漕いだことがありませんが、重い方のナックル艇と比べてさえカッターは重そうに見えますから、シェル艇はきっと段違いの軽さでしょう。

野村吉三郎と水野は大変仲が良かったんです。水野の日記が昭和14年分のみ残っていますが何度も行き来していますし、また、野村が外相に就任の決まった時、来客が煩わしいので居留守を使っていても、水野は通されていました。

>水雷屋や航海屋
秋山真之は本来水雷でしたね。連繋水雷を思いついただけでなく図面まで引いていましたから、それを使った作戦を練るのは自然でしょう。
もし波が穏やかで奇襲作戦が実行されていたらどうだったか?
夜襲の際、シソイ・ウェリーキーに怪我をさせることぐらいは出来たのですから、海戦の決定的勝利に貢献は無理でも、同じ程度は出来たのではないかと思いますが、どうでしょう。
 

出光著読後感第2回

 投稿者:kurokoma  投稿日:2014年 5月27日(火)20時17分47秒
  本職が御多忙、先ず目を大事にしなければ、残りの時間での御管理ですからゆっくり、ローペースで行きましょう。私は元端艇部員、昭和天皇陛下が皇太子殿下の時代使われたフォアのお下がりを練習船「こじま」で呉に運び、これをジープ代わりにポンドから呉中心街の川口までの往復に使っていました。出光著読むのに23時間かかりました。丁字と黄海海戦の関連付け(かわされた、逃げられた等)が良く出て来ますので、自分の「再考東郷ターン」を読んでみましたら、何と私の出した聯合艦隊の戦闘報告が引用(悪用、誤用?)されていることが判り、自分が犯人の一人であることが判明しました。この報告書は戦闘直後に出され、講和後判明した露側の企図や運動は一切反映されていません。数年前入手した露日海戦史原本の第5巻の付図には露側は日本側が投下したと思われる機雷の回避運動を示し、これ以外は一切回避行動が無かったことが判り、『東郷』にはこの件を掲載して頂きました。春日の超遠距離発砲、三艦隊長官の低速同航射撃開始等黄海には違反行為が多数あり、これからの要検討事項です。  
    (MV(管理人)) >ポンドから呉中心街の川口までの往復
それはそれは。
上陸後にあらたまった席があった時など、汗だくでお困りになったりなさいませんでしたか?

出光氏の著作と、kurokoma様の「再考東郷ターン」との比較はまだ出来ておりません。済みません。

78ページの黄海海戦の航跡図が総合調整されていたというのはその通りですね。
しかし、ここで問題にされているのは黄海海戦の第一合戦の航跡図についてなので少しずれますが、
第二合戦の航跡図についての水野広徳の問い合わせへの、秋山真之の回答の書簡の存在が
2010年5月に明らかになっていまして、年が無いのですが日付は6月12日です。

水野がそんな問い合わせをする可能性は戦役中にはあり得ませんし、
早くても海戦史の編纂に従事する明治39年以降ですから、
4か月どころか1年10カ月たっても黄海海戦の航跡図は確定していなかったことになります。
航跡図の詳細な研究というのは、他にもあるのでしょうか?
 

堤氏記事と出光著第一回読後感

 投稿者:kurokoma  投稿日:2014年 5月23日(金)08時17分28秒
  堤氏の記事は別個の二冊を頂き、今手元にありませんので、一寸怪しいですが、大回頭時の航跡を運動盤(極方眼紙の一種)で解明したものと黛大佐の記事の解説だったと思います。出光著について、著者は北海道庁の高級官僚のOBの方(北大法学部出身)と思います。部外の方がよくこれだけ調べられたと感服致しました。現存の著作記事、原史資料を網羅し、かなり良く目を通しておられます。唯専門外の対象の理解には、知識や経歴から、当然限界がありますから、基本的なことで、誤解やこの誤解に基づく結論がありますので、今後の議論で修正して行けばよいでしょう。戦策と実戦闘の対比もまともです。唯、後では名前は出て来るのですが、黄海海戦の戦策の内容が示されていないのがミステリアスです。黄海こそが対馬の根本ですが、私の方が読み飛ばしているのかもしれません。航跡図の再検討はとても良かったと思います。問題のある所も、再々検討で補強出来るでしょう。ご本人が司馬著は小説とされ、同感です。しかし私は中川ー戸高著も小説並みとし、黄海で敵に逃げられた(実はこちらが勝手に逃がしたのです。)とか、イの字ではなく並航射撃(不正な丁字は並航射撃の一種です)で勝てたとか、御著者も未だ連携水雷ヨイショから始まった、中川ー戸高神話の影響下に虜にされて居られると感じました。なお、出光氏は連携水雷攻撃事前取止めは正しく理解されています。今回はこれまで。  
    (MV(管理人)) いらっしゃいませ。

>部外の方
まだ全体を拾い読みした後、始めの方から改めて読み始めたばかりですが、そう思います。
出光氏は各専門家の論文を、そのそれぞれの論拠としている史料を検証して実相に近づこうとしていらっしゃいます。
それは私のやり方と同じです。私の方はきちんと文章にまとめてもおらず、こう書くのは気恥ずかしいのですが。
部外の人間にはやりやすい方法だと思います。

ただ、インターネットで資料を検索しての研究は自分の欲している情報に偶然めぐり合うという機会が少ないのが難点ですね。
たとえば184頁からの、三笠の艦橋に秋山がいたかという件ですが、実際に秋山がいたかいなかったかはともかく、東城の絵については、私はあっさりと結論が出ました。
「図説 東郷平八郎」に掲載された、焼失した絵の更に前に作品があった可能性はないか?と疑って調べていたのですが、それと無関係に入手した水野広徳の『此一戦』の明治44年の版にモノクロですがこの絵が載っていて、「なんだ、秋山の存命中にちゃんと描かれていたではないか」と思いました。

>唯専門外の対象の理解には、知識や経歴から、当然限界がありますから、
私が動かしたことのある船は手漕ぎの競技用ボートだけですので、この辺は感覚的にはどうなんだろうと思うことが良くあります。
歯がゆい思いをしております。
 

(無題)

 投稿者:kurokoma  投稿日:2014年 5月18日(日)14時26分47秒
  最近出版の『丁字戦法の理論と実際-日本海海戦詳細研究Ⅰ』早速入手、読み始めています。始めは良いのですが、目次で後ろの方は、風船の糸が切れたかの感じを抱いています。現在手持ちの時間が有れば、が大前提ですが、是非色々御所見、楽しみにしています。なお、近頃、堤氏が銃砲史学会で良い記事を発表されています。

 
    (MV(管理人)) kurokoma様、いらっしゃいませ。

先の方からも同じ本を御推薦いただきましたので、先ほど発注致しました。

堤様の記事とは「日本海軍における丁字戦法に関する一考察」でよろしいでしょうか。
図書館で探してみます。
有難うございます。
 

『丁字戦法の理論と実際ー日本海海戦詳細研究Ⅰ』

 投稿者:横鎮  投稿日:2014年 5月13日(火)10時58分43秒
  日露戦争参考資料を興味深く拝読しましたが、残念ながら2009年刊行本が最後になっています。再開の予定はないのでしょうか。
ご存知とは思いますが、今年4月出光英哉という方の『丁字戦法の理論と実際ー日本海海戦詳細研究Ⅰ』A4判390ページという大冊が自費出版されました。これを是非取り上げていただきたと思います。
 
    (MV(管理人)) 横鎮様、いらっしゃいませ。返信が遅れて申し訳ありません。

当方、眼病を患っている身の上に、仕事でのパソコン作業や読書(本になる前のゲラ刷ですが)が大変多いため、私的なパソコンや読書は厳選しないといけない状態で、自費出版物は現物を確認出来ないうちは手を出さないようにしておりました。

今回おふた方から書名を挙げていただいたので、読んでみようと思います。有難うございます。

更新の再開は、意欲が無いわけではありませんが、前述の状態ですのでなかなかすぐにとはいきません。
申し訳ありません。
 

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