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URLが変更になりました

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2016年 9月25日(日)02時18分37秒
編集済
  @homepageのサービス終了によりURLが変更になりました。

更新履歴を見て苦笑い。
ほぼ2年ほったらかしなんですねぇ。
この状態で移転する意味があるのかという気もしますが、サービス終了までに移転しておかないと料金が違ってくるので。

今後更新を順調に再開できるようになった時、といっても仕事でパソコンを見る時間が減らない限り望み薄なんですが(眼が順調?に悪化中)、まあその時のためにサイトを保持しておきます。

心の広い方はたま~に覗いてやってくださいませ。

http://mv-storia.my.coocan.jp/

 
 

明治三十三年上答戦策関与者

 投稿者:kurokoma  投稿日:2016年 4月20日(水)22時30分16秒
  応答して下さって安心しました。迷惑メイル、困ったものですね。今、拳匪の乱の頃を調べていますが、島田謹二先生も『征清海戦史』を使っておられました。先生が直接見られたのか、支援された志摩氏経由で見られたのか興味深いです。明治三十三年十月、秋山常備艦隊参謀が着任した司令部は、常備艦隊本隊ではなく、有馬司令官の支隊の方であったことが、島田先生の『ロシヤ戦争前夜の秋山真之』で確認できました。あやふく大失敗をする所でした。この本は、島田先生が丸善の宣伝誌『学鐙』に「秋山真之の抱負」と題して連載していたもので、防大教官時代毎号の記事をコピーした覚えがあります。これより、この時の特命検閲で上答した戦策(日露開戦直前の戦策のたたき台)の策定に関与したのは財部の方で、秋山ではないらしいことが判明しました。
 
    (MV(管理人)) 御心配をおかけして申し訳ございません。

財部でしたか。なるほど。
丁字戦法などの派手に伝えられてきた部分の戦術は海戦のずっと前から海軍全体で仕上げてきたもので、秋山の色が強いのは、海戦前に戦術が完成していなかった小艦艇による襲撃の方、すなわち連繋水雷その他の水雷だと思っていますが、どうでしょうか。
 

出光氏著Ⅱ

 投稿者:kurokoma  投稿日:2016年 2月18日(木)20時43分59秒
  先月、原宿で北海道の出光氏の詳細研究Ⅱを教えて頂き、翌日入手しました。附録に、以前オロモルフ氏が2008年9月に掲載されていた暗号を本格的に収集したものを約170頁掲載しています。
最後の補足、訂正で、当初書簡で伝えた事項に触れた部分がありましたが、真意が伝わっていません。拡散の一方です。海軍関係者の記録なのか?部外者の書いたものなのか?海軍でも砲術屋と他職種者の差、弾の下を潜った者かどうか等の差を確認しないと話がおかしくなります。プロとアマを混同し、同列に扱われたらお終いです。同航、反航射撃の選択、距離の測定、命中率の差の問題等はプロの話を素直に受けてもらわないと理解困難です。この面で、中川氏と戸高氏の著作は大変な汚点を残したと思います。また、黄海の戦策や戦闘の検討なくしては、日本海の戦策や戦闘は語れません。このことから、本著の後書は大変飛躍していると思います。露日海戦史第5巻の方は、やっと粗訳を終え、確認に移ります。附録の勲章授与の部分が途中で途切れていました。東郷長官は日本側が劣勢と判定しているのに、敵は自分が劣勢と信じ込んでいました。日本は2戦隊の合同にも失敗しています。御多忙の御様子、スローペースで参りましょう。

 
    (MV(管理人)) 投稿に気づくのが遅れ、誠に実に申し訳ございません。

ご投稿いただいた時期にパソコンの不調と迷惑メールの多信が重なり、投稿連絡メールが埋もれてしまっていました。
本当に申し訳ございません。

2巻が出ていたのですね。
私が普段使用しているネット書店では扱いがないらしく気づきませんでした。
早速アマゾンに発注いたしました。(アマゾンにはいろいろと言いたいことがあるけれど、扱い点数が多いことだけは認めざるを得ません。)

素人の私でも、艦船に勤務したことのある人とない人ではリアリティに差があることが読み取れます。
私も後者なので記述の際は素人の推測であると強調した上で書いていますが、戸高氏は確信を持った文章で書かれますので、素人は信じそうになりますね。
私も興味を持ち始めた初期に読んだためかなりの影響を受けまして、随分時間を消費しました。

 

8月27日 21:46 にメールをくださった方へ

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2015年 8月28日(金)00時13分32秒
  お名前もご挨拶も無く、本文だけをお送りいただいても、返答を致しかねます。

その本文もご質問ではないようですし、メールをお送りいただいた意図を測りかねております。
 

お久し振りです。

 投稿者:kurokoma  投稿日:2015年 5月10日(日)19時27分4秒
  良い所を訪ねられましたね。呉でも色々行かれたと思います。呉線の新しい駅名を聴かされて、google earthを見ましたら昔の天応のようです。呉から天応には、奥の焼山という水源地を抜けて裏の峠道が通じていました。昔は高級住宅地でした。切串も天応もカッターで停泊して泊った所です。古鷹山は何度も登りましたが、クマン岳のことは全然知らずにそちらの方には行っていません。頂上は天気が良いとスカッとしていつでも気分爽快になります。本土も島も山火事になり易く、緑が戻るまでは、しばらく赤はだが映えてそれなり綺麗です。江田内の画像、艦から見ると狭いですが、かなり広いですね。先日、飛入りの真珠湾の調べに横須賀の市立図書館に行きましたら、出光氏の著書が入っていました。露日の黄海の新刊の訳の方は、ようやく1/3にたどりつきました。公刊の日露海戦史の黄海を見て、後知恵で記したと思われる部分もあります。  
    (MV(管理人)) いらっしゃいませ。

呉ポートアイランド駅は、呉ポートピアランドという遊園地の開園に合わせて天応駅の隣に出来た新しい駅のようです。
新しいといっても1992年で、遊園地も閉園して市民公園に様変わりしてますが。

訓練では古鷹山頂上への往復のみのようですね。
それだと登山としてはちょっと短いので、事前にガイドブックや登山関連のホームページなどで調べて、クマン岳経由にしました。
このコースだと距離は長くなりますが、古鷹山頂上近くの岩場や急なところが下りだけで済むので、かえって楽だったと思います。
登山道の整備もきちんとされていますし。

江田島は火事で焼けた後に植林されたということですが、元の植生に近い木を選んだのでしょうか。
奥武蔵の林業目的の杉林とは随分趣が違って面白かったです。虫には閉口しましたが(笑)。

江田島市では昨年秋から冬いっぱいまで、島内の山6カ所の頂上にスタンプを置いて、スタンプラリーをやっていたようです。
関東平野の真ん中の生まれ育ちには、海の景色と山とを同時に楽しめるのはすごく贅沢なレジャーですね。
 

古鷹山に登ってきました。

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2015年 5月 6日(水)10時53分47秒
  無沙汰をしておりますが、生きております(^_^;)
元気な証拠に、古鷹山に登ってきました。
こちらへ来て下さる皆さんならご存じの、今は海上自衛隊幹部候補生学校、昔は海軍兵学校の生徒さん達が鍛練に登る山です。

ゴールデンウイークの2日から5日まで呉に滞在して、3日と4日の天気予報のいい方に登ろうと計画。
なるべくなら3日が良かったのだけど、一日じゅう雨の予報だったので、午前中で止みそうな4日に決行。
滞在を6日までにしておけば、一日いい天気の5日に登れたんだけどな~。

呉から電車で呉ポートアイランド駅に移動、フェリーで江田島の北東先端の切串港に渡って、クマン岳から古鷹山へ縦走、小用港からフェリーで呉に戻るコースです。

この登山で最大の戦いは、事前に予想されていた、
・私の体力が持つかでも(奥武蔵の同程度の山々を歩いて訓練済み)、
・持参したスポーツドリンクが足りなくならないかでも(いつもの量より小さいのを1本余分に持った)、
・岩場が降りられなくて立ち往生しないかでも(奥武蔵でこれより小規模のは経験済み)、
・滑落して怪我して身動きできなくならないかでも(ストックで足元を確認して歩く習慣づけ済み)、
・道に迷わないかでも(地図読みの勉強&タブレットにGPS利用の地図アプリをインストールして実験済)、
・天気予報が外れて大雨になったりしないかとか(天気予報で天気図確認済み)、
・眼鏡を落として壊してしまわないかでも(ストッパー装着&スペア持参)、
・予想より時間がかかって日没になったりしないか(ヘッドライトと予備電池持参)
でもなく、

行く手に、頭上から糸を引いて無数にぶら下がっている虫たちでした……!!!

そういう季節だからなのか、小雨&雨上がりだからなのか、雨で一日以上誰も登っていなくて払ってくれた人がいなかったからなのか、とにかく一瞬であっても気が抜けない状況で、途中で拾った棒きれを車のワイパーのごとく振りながら歩いておりました。

それでも、
・腕とか足とかにいつの間にか虫が這ってたとか、
・滑りやすそうなところで足元を注視して登って顔をあげたら目の前10cmの所に見事なクモの巣があったとか、
・帽子のつばから虫がこっちの顔をのぞいてたとか、
も~半泣きです。

頭上が開けているところはいくらも無くて、帆立岩の周りと、クマン岳や古鷹山の頂上ぐらい。
そこでは巨大なアブが常時ぶんぶんぶ~んと飛んでいて落ち着かないこと落ち着かないこと。
天気がイマイチで途中までは遠望もきかなかったですし。

でもいいのです。古鷹山からの眺めは最高だったから!
ここに秋山真之や広瀬武夫や、兵学校移転以降の歴代の生徒さん達が登ってたんだな~と思い、感無量でした。

写真は、上から
・Google earthに張り付けたGPS記録、
・頂上にある東郷平八郎謹書の五省訓、
・海上自衛隊第一術科学校、かつての海軍兵学校
です。

虫さえいなければ、午前中に小雨は降ったけど気温もちょうどよくて気持ちのいい登山でした。
楽しかったです~~~。
 

矢野さんと管理人さんへ

 投稿者:kurokoma  投稿日:2015年 1月14日(水)22時53分59秒
  呉の海保大出の元海上自衛官です。学生時代、夏冬休暇は毎年短艇巡航で、夏は2週間かけて小豆島往復をし、途中大島の対岸の伯方島や今治に寄り、例年斎島、安居島、岡村島、伊吹島、粟島、佐柳島、尾道、多度津、坂出、高松等に寄り、弓削島の近くでは、雨で濡れ、冷え切って寄港した所で、学生は休暇中のお宅の施設で入浴させて頂いたり、乾いた毛布を使わせて頂き、生き返った思い出があります。先日、松下芳男著水野広徳伝で引いたら管理人さんの表紙写真付きの関連図書のリストが出てきましたが、今日は駄目でした。必ず宝の山が堀当てられますからトライして見て下さい。出光著の方は飛び入りが幾つかあって現在中断中ですが、間もなく再開させて頂きます。明治30年の艦隊の大規模戦術運動訓練実施の記事が出て来ました。  
    (MV(管理人)) いらっしゃいませ。表示が遅くなって申し訳ありません。

私は瀬戸内海は呉~松山間を高速船で移動したことしかありません。しかも出航してすぐ日が暮れてしまったので景色も眺められませんでした。
いつか、ゆっくりとクルーズしてみたいです。
 

明けましておめでとうございます

 投稿者:MV(管理人)  投稿日:2015年 1月 2日(金)01時21分22秒
  (もはや恒例となりつつありますが、)
更新が滞りまくっているサイトにおいで下さった方々、有難うございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。
 

驚き

 投稿者:矢野  投稿日:2014年12月31日(水)17時07分45秒
  大島の吉海町の出身です。津倉小学校に通っていました。海軍が多い家で、父も海上自衛隊、自分は弓削商船高専に行きました。水野さんのことを「花へんろ」で知り、驚きました。すぐ近くに疎開していたなんて・・・  
    (MV(管理人)) そうですか、大島の方ですか!
晩年の水野がどんな景色を眺めながら過ごしていたのか、一度行ってみたいと思っています。

近くに疎開していたのをご存じなくても、仕方ないと思います。
松山出身の人が同じ会社にいるのですが、名前すら知らなかったですから(苦笑)。
 

出光著読後感第4回

 投稿者:kurokoma  投稿日:2014年 6月20日(金)10時32分33秒
  第3章の最後の秋山の講義録の抜粋が良かったです。特に「海軍基本戦術 第二編」の二つの枠入りの抜粋です。これには、必ずしも正しき丁字たるを要せず、イ字となるも妨げず、とイの字を明示していますが、著者のこれに対するコメントは未だ見えません。次の枠の丁字対勢保持の途は一斉回頭の斉動と減速のみ挙げ、方向変換は挙げていませんが、このコメントも無いです。これらの前の137頁の下の方に「並航戦」という言葉がありますが、これは、正の丁字と同様、正の真並行、真同速、並頭の仮想の「並航戦」と考えるのが良いと思います。通常の「並航戦」は斜め同航戦のことで、かなり大きな交角、それこそ89度でも斜め並航戦で、前に出ても、後に遅れても「並航戦」で、勿論不正な丁字の斜め並航戦の丁字戦法も含まれています。この秋山本人の言で、丁字が無かった等の神話は蒸発霧散したと思います。連繋水雷関連で、艦隊機密(聯隊機密)(日露M37-362)の綴りの中の聯隊機密1217(37,10,24)に聯合艦隊訓令(連繋水雷と公称)が出て来て、37年8月から、バルト艦隊対処で連繋水雷の開発試験を始めて、同時使用の偽水雷(聯隊機密1089-3(37,9,26))の搭載散布関係令達も出て来ました。17期同期の森山、秋山のアイデア発案、スケッチ書きの話も日本海直前ではなく、かなり前からが正しいようです。同期の山路も十月に類似のアイデアを出しています。横鎮様?からは何かコンタクトがありますか?  
    (管理人) 返信が大変に遅くなりまして申し訳ございませんでした。

不正の丁字、すなわち丁字が直角でなくてもいいとは初めから言及されていたことですので、丁字戦法はなかった論の発端の方の、「丁字形になっていない」という指摘は意味がないとは、かなり早くから感じておりました。

でありながら、黄海海戦で直角の丁字戦法を仕掛けて旅順艦隊を一度は取り逃がしたのは、「丁字」という言葉に当事者たちがいつの間にかとらわれていたのではないかと考えています。
が、無意識の意識という次元の話はこういう議論の際には不適切でしょうか。

なお、横鎮様からはその後何もありません。
 

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